2010年9月30日木曜日

たちよみ『VOL lexicon』

[海賊]

1、船を操って海上に横行し、商船や沿岸集落を襲って略奪を働く盗賊。国家に服属せず、あらゆる国家に敵対する。自主独立の無法者。無政府主義者の原型。
2、海賊の歴史は古く、陸上の国家文明を幾度も脅かしてきた。国家は土地を領土にするが、海を領土化することはできない。国家が主張する「領海」は、国家間の取り決めとしては有効だが、海賊の活動を制限するものではない。そのため、国家の法は常に海賊に脅かされ、妥協を強いられる。海がある限り、国家の法が完成することはなく、破れ目をもちつづける。
3、植民地貿易の拡大に伴って、船上の叛乱が頻発するようになる。原始的なルンペンプロレタリアートである水夫たちは、船長を殺して船を奪う。水夫が占拠した船は海賊船となり、犯罪者や脱走兵や逃亡奴隷を味方にし、おたずね者になった自由主義者や平等思想と交わっていく。17世紀から19世紀にわたって繰り広げられた海賊と植民地主義国家との闘いは、洋上の階級闘争と呼びうるものへと発展していった。
4、植民地主義の国家は、海賊を飼いならすことに成功した。国家の許可を得て他国の商船や領土を襲撃する船は、一般的な海賊と区別され、私掠船(コルセール)と呼ばれる。大英帝国と契約した私掠船は、スペインの商船や植民地を襲撃し、強奪品の一部を国家に上納した。
5、近代の海賊が独身者の集団であるというのは偏見である。海賊にも妻子がある。ただ彼らは生命や地位や財産が極端に不安定であったから、ブルジョア式の家族を形成することはなかった。近代の海賊は、ブルジョア家族制とは別の形式で、孤児に相応しい乱婚的な家族を持ち、義兄弟を持ち、船上に集住して暮らしたのである。近代海賊が活躍した後に、フランスの社会主義者シャルル・フーリエは集合住宅様式(ファランステール)を発明し、近代住宅建築の歴史的一歩を踏み出すことになる。
6、海賊は特定の陣地をもたず(非場所的)、どこにでも現れる(遍在的)。姿を偽装して近づき、敵が強ければやり過ごし、敵が弱ければ襲撃する。敵の船と積荷を奪い、自分の武器にする。隊内の階級制度は脆弱で、船長と水夫が交替することもしばしばある。支配(平和)のために戦争をするのではなく、戦争の継続のために戦争をする。海賊の戦争様式を陸上の戦争に応用したのが、パルチザン戦争である。毛沢東の「遊撃戦論」は、正

(海賊 『VOL lexicon』 以文社 2009)

たちよみ『愛と暴力の現代思想』

ひとつは、量の問題である。トリアージを実施する際の量的な基準はどこにあるか。トリアージの「必要性」は、多数の負傷者と少数の医療スタッフ(設備・薬品)という量的な不均衡を根拠にしている。であれば、「多数の負傷者と貴重な医療スタッフ」という事態は、具体的にどの程度以上の規模をもったときを指すのかだ。問題が、負傷者と医療体制の量であるならば、まずは、一方の変数である医療体制の量を検討し確定しなければならない。医療体制の現状は、地域によってばらつきがあるだろう。都市部と山間部では、医師や設備の量が異なるし、交通の条件も異なるはずだ。自治体がトリアージの必要を説くならば、まずは、「○○県には現在これだけの医療体制があり、県外からこれだけの支援を得ることができて、これ以上はない」というように、医療体制の量を確定しその多寡を検討しなくてはならない。そうした検討を公にしたうえで、「○○市は、一度に○○人以上の負傷者がでた場合、トリアージを実施する」と言うならば、私はぜったいに承服しないが、とりあえず議論の前提は成立するだろう。それが、自治体と公的機関がはたすべき義務であるはずだ。しかし実際にはそうした検討はなされない。問題は、医療体制の検討を抜きにトリアージという方法だけが採用され、小規模な事故や火災の現場にも無原則に適用されてしまっているということである。たとえば、二〇〇二年九月におきた新宿区歌舞伎町のビル火災のような、大規模災害とはほど遠いと思われるような事件で、トリアージは実施されている。医療機関が不足しているとは考えられない都市部のどまんなかで、たった四七名の負傷者に対してトリアージが実施され、心肺蘇生術があらかじめ断念される。このビル火災で、四七名のうち四四名もの人々が死亡した背景には、トリアージの濫用がなかったか。それが歌舞伎町の雑居ビルの風俗店ではなく、西口の新宿センタービルであったなら、救急隊員はトリアージを実施しただろうか。と、問う必要がある。トリアージは、医療機関と救急現場に、差別とネグレクトを免罪し合理化する論理を与えたのかもしれない。大規模災害という想像の自然に支持された方法が、大規模災害にいたる以前の段階で、すでに暴走を始めている。この知性と倫理を欠いた「グッドアイデア」を法的に制限するものは現在ない。それが根拠にしているはずの量を曖昧にしたまま、「貴重な医療」という教条が医療の現場を支配する。そして、貧しい者、政治力のない者、「手に余る」患者たちは、救急車に乗せられることなく放置されるのだ。

トリアージが孕んでいるもうひとつの問題は、死生観にかかわるものである。
医療機関が、一度に複数の患者をうけいれるとき、そこに優先順位をつけることはあるだろう。そうした事態がありうることは否定できない。そして、ある者は死ぬ。死は突然おとずれて、生きている者たちに衝撃を与える。死は、死者本人にとっても、他の生きる者にとつても、承服しがたい。その死にタグを貼り付けるということは、人間の死生に対するおぞましい挑戦であると私は思う。
想像してみて欲しい。大規模な震災で街が崩壊する。あなたは黄色いタグをつけられ、病院に搬送され、治療を受けたとしよう。建物の窓から震災後の街を眺望すると、そこには黒いタグを付けられた心肺停止状態の人々が横たわっている。そこにあるのは死者と生
者ではない、黒いタグの死者と黄色いタグの生者である。生と死の選別をタグによって明示されたという事実に、はたして生き残った者は耐えられるだろうか。彼は死に彼は生きるという整理券を貼り付けられて、人間の死生が識別の視線にさらされる。医師や看護士や救急隊員が暗黙裡に選別するのではない。識別のタグは、彼は生きる彼は死ぬということを、すべての視線にむけてもっとも見えやすいかたちで明示し、その予約された運命にたいする合意と承認を、見る者すべてに迫る。そしてトリアージが首尾よく実践されるということは、多くの動くことのできる被災者が、そのタグを剥がすことなく受け入れるということなのである。人間に貼り付けられたタグを剥がさずにいうというこの命令に、従うのか否か。タグが発揮するこの命令に、人間は屈服してよいものだろうか。
生きるということは、死に抗い、死んだように生きることに抗う運動である。人間は、死んでいるか死んでいないかという次元で生を構想することはできない。死んでいないことが、生きているということでは、ない。死に抗うこと、死を易々とは承認しないという意志と運動が、生の尊厳を構成するのである。私がここで問題にしているのは、人間が経験する死生の残酷さではない。私が言いたいのは、人問の死生を残酷なものとして感受する条件を手放してよいのか、残酷さを回避したところに人間の尊厳が成立するだろうか、ということだ。私が恐れているトリアージの悪夢とは、ある生きている者が、ある生きられなかった者の死を、タグが発揮する合理性にしたがって唯々諾々と承認してしまうことである。死の残酷さにうちのめされることなく、合意を要求するタグ付きの死体が置かれ
た傍らで、生きる者は、自分自身の生を尊厳のあるものとして生きることができるだろうか。できない。ゴミを分別するようなすっきりとしたやりかたで死や生を受け入れることなど、本当はできないはずなのだ。それを易々とは受け入れないという一点に、人間が「人


(「虐殺・トリアージ・“生きた労働”の管理」『愛と暴力の現代思想』 青土社 2006)

2010年9月29日水曜日

VOAはどうするのか問題



このまえ集会に行ったら、関係者から「VOAはもう放送をしないのか」との問い合わせをうけた。言われてみればVOA。忘れてた。最後の放送が今年の4月ごろだから、かれこれ半年ちかく放送していないことになる。昨年9月に放送を開始してから、すでに一年も経っていることに気が付いた。
VOA(Voice Of ANTIFA)がどんなものかは文章では説明しにくいので、実際に耳で聴いてもらうとして、「放送を再開しないのか」という問い合わせがあるということは、少しはリスナーがいたということだろう。感謝。
http://voiceofantifa.net/

さて、今年の春に放送が中断してしまった理由は、考えればいろいろある。

1、「行動する保守」に対する包囲網ができあがり、危機感がなくなった。
2、論説委員(矢部)の喋るネタがつきた。
3、選曲、新曲探しがむずかしくなった。
4、矢部の新刊が出てしまったので、販促イベントで忙しくなった。
5、「海賊研究会」が始まり、そっちの方がおもしろくなっちゃった。

要するに一言で総括すれば、「飽きちゃった」ということになる。
「飽きちゃった」と言っても、ネガティブな感情は無い。言いたいことは全部言ったし、やってみたいことはだいたいやった。みんなだいたい楽しんだし、「あーおもしろかった」って感じだ。

これはあとづけになるが、振り返れば今年の4月頃から、「在特会」&「主権回復」&「瀬戸ひろゆき」ブロックは崩壊が始まっていたらしい。この半年間、彼らは小さい頭で対策を練ったようだが、そもそも大義をもたない暴走老人が何をやっても無駄。いまでは刑事・民事の裁判をまえに逃亡者が続出している。救援活動はおろか弁護士選任すらろくにできないありさまで、こういう弱々しい姿を見せられると、「保守」というのは気の毒だなあと思う。われわれ左翼は、いくら少数で孤立していても、最低限の救援はできるもんね。逮捕者が出たぐらいでちりぢりになるようなこんな弱い人間たちとまじめに対決しようとしていたのかと思うと、がっかりする。
これは左翼の悪い癖かもしれないが、敵が小さいとやる気がでない。本当は「小さい人間の小さい現実が大事なんだ」ということは頭では理解しているのだが、気持ちとしてはやはり、対峙する敵は大きくて強いものであってほしい。じゃないとどうも空気がはいらない。我々が「飽きちゃった」最大の理由はこのへんにあるのだと思う。

話は脱線したが、「行動する保守」が終了してしまったので、VOAの再開はとうぶんないだろうと思う。私自身がもともと彼らへの私怨(蕨事件)で始めたことだから、とりあえず第一期VOAは終了。

こんご第二期を始めるとしたら、新しい記者や論説委員をむかえて、もっと大きな問題設定でやりたいと思う。「VOA、まだまだやりたりないぜ」という諸君は、連絡をください。

書評『スラムの惑星』

『スラムの惑星』は、現在の人口統計が示す衝撃的な事実からはじまる。
「1950年には、100万人以上の人口を抱えた都市は86だった。今日においては400であり、2015年までには少なくとも550になるだろう。都市はじつに、1950年以来のグローバルな人口爆発のおよそ三分の二を吸収してきたのであるが、いまなお膨大な数の新生児や移民によって週ごとに増加している。世界の都市労働人口は、1980年以来二倍以上にまで増大してきたが、現在の都市人口ー32億人ーは、ジョン・F・ケネディが大統領に就任したときの世界の総人口よりも多い。その間に、世界の地方人口数は頂点に達し、2020年のあとには縮小しはじめるだろう。その結果として、2050年におよそ100億人に達することが予期される将来の世界人口成長のほとんどすべてを、都市が占めることになるだろう。」(第一章 都市の転換期)
いま世界ではかつてない規模と速度で、都市への移住と都市の移転がおきている。農村から都市へむかう人の流れ、そして、農村のただなかにあらわれる都市開発。人口二千万人を超えて拡張する超巨大都市と、土地の空隙を埋めつくしていく無数の小都市群。「農村と都市」をめぐるイメージは、地と図を反転させなくてはならない。都市は海に点在する島のような特殊な場所ではなくなっていて、都市それ自体が海のようにとりとめなくひろがっているのである。「地球の都市人口が農村人口をはじめて凌駕する」。そうして近い将来、世界人口のほとんど、というよりは、人間のほとんどすべてが、都市に生まれ都市で死んでいく、そういう時代が始まる。著者マイク・デイヴィスはこれを「新石器革命や産業革命に匹敵する、人類史上の分水嶺」として、「スラム」の爆発的拡大を現代社会の一般的傾向・一般的規則として描き出している。ただしここで目指されているのは、危機や不安を煽ったり、環境ビジネスが好んでとりあげるような「地球規模の破局」を描くことではない。著者が目指すのは、「スラムの惑星」と化した世界で、どのようにあらたな資本主義分析を行うか、世界資本主義を見るための視座をどのようにとり直していくか、である。
本書では多くの都市の名が登場する。著名な都市もあれば、聞いたことのない都市もある。ダッカ(バングラデシュ)、デリー(インド)、カラチ(パキスタン)、上海(中国)、ジャカルタ(インドネシア)、バンコク(タイ)、マニラ(フィリピン)、ヨハネスブルグ(南ア)、ラゴス(ナイジェリア)、キンシャサ(コンゴ)、ナイロビ(ケニア)、カイロ(エジプト)、イスタンブール(トルコ)、メキシコシティ(メキシコ)、リマ(ぺルー)、ボゴタ(コロンビア)、サンパウロ(ブラジル)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、モスクワ(ロシア)。これらはほんの一部である。
インターネットに接続できる人は、グーグル・アースというサイトに接続してみてほしい。グーグル・アースは、上空から撮影した世界の地表面の写真が閲覧できるサービスである。都市の名を入力して検索すれば、例えばキンシャサで検索すると、カメラはアフリカ大陸上空に移動して、内陸部の水運に面した都市にむかってズームしていく。写真は無段階で拡大することができて、最大まで拡大すると家の屋根や細い路地まで見ることができる。本書を手がかりに世界の都市を巡ってみてほしい。それらはあくまで上空からの写真にすぎないが、それでも『スラムの惑星』が提示するパーステクティブを感じることができるとおもう。地理的にも歴史的にも異なった都市が、どこも判を押したようにスラムを形成している。新自由主義グローバリゼーションは、世界中で生活の風景を書き換えているのだ。
世界規模で進展する現代の都市化=スラム化は、「農村と都市」をめぐる従来の常識を覆している。なかでももっとも重要だと思われるのは、工業化を巡る常識が覆されたことだ。本書のなかでも強調されているのは、現代の都市はかならずしも工業化と結びついてはいないという事実である。かつてマルクスが描いたところでいえば、まず農村でのエンクロージャー(土地の囲い込み)があり、つぎに排除された農民が工場のある都市に集積し、工業労働者(プロレタリアート)の一群を形成する、というのが基本的な図式である。しかし現在、都市化=工業化(都市住民=工業労働者)という図式があてはまるのは、中国などの一部の地域に限られている。とくにアフリカや南アジアの巨大都市では、工業化による雇用が確保されないまま、ただ農村から排除された農民たちが押し寄せ、もっぱら棄民の群れとして都市外縁のスラムを形成している。仕事らしい仕事はない。社会保障もない。それでも生きていくためには、都市の隙間になんらかの雑業を探して、どんな小銭でも稼がなければならない。そうしてスラムには、多種多様なインフォーマル経済が形成されていく。

ここでちょっと話は脱線するが、現代の海賊について私見を述べたい。『スラムの惑星』では触れられていない、あくまで私の妄想なので読み飛ばしてもらってもいいのだが、現代の海賊は、脱工業化とインフォーマル経済の成長という事態を端的に表現していると思うのだ。
現在ソマリアでは、国家が崩壊し海賊が跋扈している。海賊は、ソマリア沖を通過する船舶を襲い、物を奪って売りさばくか、人間をさらって身代金をとる。想像してほしいのは、いまソマリア沖インド洋で荒稼ぎをしている海賊は、はたしてソマリア人だけだろうか、ということだ。賊に強奪されソマリアに運ばれたとされる物資と人質は、すべて本当にソマリアに運ばれたのだろうか。インド洋はいま、宝の山だ。インド洋に面する国々では、一日1ドル以下でくらす人間が膨大にいる。この海域は、アフリカ東部の沿岸諸国・マダガスカル・インド・パキスタンからは目と鼻の先、インドネシアの海賊にとってもそれほど遠くはない距離だ。彼らが指をくわえて見ているとは思えない。また、ソマリア人海賊が獲得した物資は、なんらかの方法でカネに換えなくてはならない。ソマリアのなかで売りさばけるモノばかりではない。密貿易のネットワークがあってはじめてカネに換えられるというモノもあるだろう。こうして海賊稼業の全体を考えてみれば、インド洋に面する海賊・漁師・密貿易業者の国際的な連携があるだろうことは想像に難くない。こういうことは実際に検証することができないので想像するしかないのだが、構図として捉えておくべきは、ソマリアやフィリピンにあらわれた現代の海賊は、特殊・一国的な出来事ではなくて、新自由主義グローバリゼーションが散布した世界規模の貧困とインフォーマル経済の拡大を背景にしているということだ。別の言い方をすれば、環インド洋に生長したインフォーマル経済の発展が、ソマリア沖で、海賊という表現をもってあらわれたと言うこともできるだろう。
農村を破壊され排除された農民は、その一部は工業労働者になり、その多くは工業労働者になることすらかなわずスラムのインフォーマル経済に呑み込まれていく。巨大都市のインフォーマル経済を背景にして、海賊は成長する。みずから望んで海賊になる者、膨らんだ借金のために海賊をやらされる者、小さな船を維持するために危ない仕事をひきうける漁師がいる。海賊、という言葉には前時代的な響きがあって、アハハと笑われてしまったりもするのだが、世界の現実に照らしてみれば、海賊は、IMF・世界銀行・新自由主義政策が生み出してきた(破壊してきた)地域経済の、もっとも現代的な形式なのである。

さて本題に戻る。いまなんの説明もなく「IMF・世界銀行・新自由主義政策」と書いたが、あらためて簡単に説明すると、IMFは国際通貨基金。欧米日の先進国政府が出資して、通貨管理を行っている。IMFは、貿易赤字等によってドル準備高が不足した政府にドルを融資し、この債権をたてに債務国の政策を評価・介入する。世界銀行は、IMFと同様に先進国政府が出資し、国家規模の開発事業に投資し、債権をたてに債務国の経済社会を評価・介入する。世界の銀行・金融資本は、IMF/世界銀行に導かれ、同時にその利害を代表させてもいる。金融資本による政策介入は、世界の銀行家・官僚・右翼政治家を招聘する「世界経済フォーラム」(WEF、別名ダボス会議)や、主要国首脳会議(G8サミット)といった私的(法定外)諮問機関を通じて行われている。行政の政策決定は、国会のような公開された場所ではなく、エコノミストを交えた密室の会議に依存している。そしてダボス会議やG8サミット、これらから派生した無数の私的諮問機関によって推進されてきたのが、世界政策としての新自由主義政策である。
第三世界における新自由主義政策は、IMF/世界銀行が債務国に要求する「構造調整プログラム」によって実行されてきた。「構造調整」という政策パッケージは、四つの柱で成り立っている。1、関税障壁の撤廃(市場を開放し欧米の商品だけを買え)2、公共サービスの民営化(欧米の企業・資本に参入させろ)3、社会保障費の削減(医療も教育もビジネスにしろ)4、規制緩和(環境や労働権を主張するなら投資しないぞ)、である。
こうした政策は、国民経済を破綻させる。農村は疲弊し、食えなくなった農民は都市に押し寄せる。都市に出ても仕事らしい仕事はなく、教育を受けた公務員ですら首を切られているありさまだ。政策的に棄民化させられた人々は、都市の外縁に不法占拠のバラックを建て、スラムが膨張していく。アフリカにおける「構造調整プログラム」は惨憺たる結果を生み出した。IMFのエコノミスト自身が失敗だったと認めるほど、国民経済は破壊されてしまったのだ。
ここで念のために確認しておくが、こうした国々はもともと貧しかったからスラムがあるのではない。こうした国々は、国際債務をたてに実行された政策介入によって、よりいっそう貧しくさせられ、スラムでの生活を強いられているのである。「開発途上」という表現はねつ造された神話であって、発展の高みに向かって上昇しているように見えるのは都心の都市開発だけだ。都心では銀行や不動産業が華麗なオフィスビルを構え、「開発途上」のあどけない夢を演出している。しかし、一歩都心を離れれば、棄民と海賊と警察がせめぎあうスラムが広がっている。そしてスラムのインフォーマル労働者に寄生して、脱工業化社会の「成長部門」が高い収益性を実現する、という構図だ。
新自由主義政策の下で貧困と野蛮が蔓延していく。こうした構図は、90年以降の日本の状況と照らして見れば簡単に理解できるだろう。生産性・収益性は、賃金や労働権の切り詰めによって確保され、女性・若年労働者を中心にインフォーマル労働者を大量に生み出している。その反面、東京でも地方都市でも、建物だけはますます豪華になっていく。例えば東京都心の大学は90年代以降の再開発を経て、高級ホテルかと見紛うばかりの華やかなキャンパスを建ててきた。しかしその中身はといえば、低賃金の非正規雇用で生活費をまかないつつ卒業後も就職できないのではないかと不安を抱く学生たちが、学生ローンの窓口に並ぶ。4年後の卒業の時点で、彼らの借金は多い者で300万円を超える(授業料だけでそれぐらいになる)。現在の社会人1年生の何割かは、債務奴隷として出発するのだ。もともと昔からそうだったのではない。公共サービスの民営化(私物化)とインフォーマル経済の拡大は、金融資本が主導する新自由主義政策が、かつてあった国民経済を「非効率」と断じて解体してきたからである。この20年、私的諮問機関の提言によって我々が貧しくさせられてきたように、同じ原理で、第三世界諸国は貧しくさせられてきたのである。読み取るべき第一は、先進国と第三世界のそれぞれの都市を貫いている現代資本主義の一般的傾向である。
『スラムの惑星』を読みすすめていくと、聞いたことのない都市について書かれていることが、まるで東京に暮らす自分について書かれているような感覚をおぼえる。はっとして、グーグルアースで東京の写真を検索してみる。上空から見ると、他のスラム都市とひけをとらない大変な密度である。そしてなにより規模が大きい。道路は舗装され上下水道も完備しているが、たしかにここはメガ・スラムかもしれない。東京都内だけで1300万人の人口が集積し、その約60%は借家人だ。不安定な職を一つか二つもち、20平米にも満たないアパートに収入の半分ちかくを費やす。それでもなにかよい仕事にありつくために、都内の細い路地の隙間に出来るだけ安い物件を探していく。いや、東京の話はいい。ようするに何が言いたいかというと、東京の、あるいは大阪の、あるいは小さな地方都市がそれぞれにはらんでいる都市の緊張を、『スラムの惑星』は覚醒させてくれるということだ。
このことは翻訳にもあらわれているように思う。本書『スラムの惑星』は翻訳が良い。焦点がきちんとあっていて、著者の問題意識が明確に伝わってくる。10年前20年前のリベラル風の学者にはこういう仕事はできなかっただろう。おそらくこの緊張感は、訳者たちそれぞれがくぐってきた都市の経験のなかで形成されたものだろう。
あるいはこの緊張感は、本書が出版されるプロセスにも関っているのかもしれない。話は少々こみいってしまうが、版元の明石書店は現在、経営者と労働組合の間で係争が続いている。本書の翻訳を企画した編集者は組合員なのだが、翻訳ができあがる中途の段階で担当をはずされ、いまはデータ入力の仕事に配転されている。経営と組合との交渉はまとまらず、こう着状態にあるようだ。双方の主張はそれぞれビラやウェブサイトで公開されているのでそれを参照してもらうとして、私がここでどちらがどうということは書かない。ただ気に留めてほしいのは、ここにも『スラムの惑星』が描こうとする都市の緊張がある、ということだ。出版社というと高潔なイメージを抱く人もいるかもしれないが、現実はそんなにきれいなものではない。安定したフォーマルな場所の高みから世界を見下ろすのではない、東京のメガ・スラムの緊張のなかで『スラムの惑星』が編集され、印刷され、手渡されていくのだ。版元が労使間で争議をしながらこんなにきちんとした本を出したのだ。熱い。まじめに読みたいと思う。

(『図書新聞』 2010年8月7日号)

八千代市の「多文化共生社会づくり」

 2月23日火曜日。きびしい寒気がゆるみ暖かい日差しがさす日、千葉県八千代市のある中学校では、「むらかみインターナショナル子どもサミット」という催しが行われていた。
会場となった体育館に入ると、ステージでブラジル人歌手が歌い、小学生のこどもたちがダンスを楽しんでいる。飛び跳ねてはしゃいでいる小学生から少し下がったところには、中学生たちがすこし戸惑いながらステージをながめている。集められた児童は、40人から50人ほど。彼らはこの地域に暮らし学校に通う、ブラジル、ペルー、中国などいわゆる「ニューカマー」の外国籍の子どもたちである。見物の輪の外周をつくっているのは、さまざまな表情で子どもを見守る保護者たち、学校の教職員、地域の町内会役員、民生委員、警察だ。
催しは二部構成となっていて、第一部は『集会〜インターナショナルな子ども達,みんな集まれ!』と題して、音楽やダンスで交流する集会。この時間は、日本で活躍するブラジル人歌手・シキーニョさんをゲストに迎え、陽気な歌にあわせてみんなで踊る。
第二部は、『フォーラム〜多文化共生社会を考えよう』。第二部からは小学生を教室に返し、中学生と大人たちが椅子を並べて座る。通訳者を介して懇談会が行われた。
第二部が始まる頃、私は市役所と図書館で調べものをするために会場をあとにした。学校の敷地を出て、駅に向かって歩いていると、運動場でマスゲームの練習をしている中学生の姿が見える。そろいの体操服を着た子どもたちは、かつて流行した「一世風靡セピア」の曲にあわせて、踊りの練習をしている。おそらくいくつかの理由があって、「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、「ニューカマー」の外国籍児童だけで、他の小中学生を交えないかたちで行われた。

「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、今回が初めての試みである。これは「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」のひとつとして委託された事業である。実施主体は、「村上地区外国人児童生徒受入整備連絡会」と村上地区の五つの小中学校だ。「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」は、NPOや大学などを主体にして、いくつかの事業を行っている。少々長くなるが、インターネットで公開されている一覧を引用しよう。

○むらかみインターナショナルこどもサミットの開催
八千代市村上地区の小学校(3校)、中学校(2校)の生徒、保護者、教育関係者、ボランティア、企業関係者等が一堂に集い、みんなで歌い、学び、踊ることなどを通じて交流する。地域への所属感を高め外国籍児童としてのアイデンティティの確立、保護者や雇用主の教育に対する理解の増進、地域住民の多文化共生意識の理解促進を図る。

○県内外国人集住地域の包括的実態把握にむけた予備的研究
中部や北関東の外国人集住地域から不況、住宅不足、定住化などにより千葉県内へシフトしつつある人の流れを包括的に把握し、現場支援の一助とすることをめざす。単純労働者、熟練労働者、留学生及び日本企業就職者の集住に至る背景、人数と居住地、現在の住環境、行動範囲、就労実態などの基礎的データを収集・分析する。

○千葉県内の留学生を対象とした日本就職支援セミナーの開催
県内大学に在籍する留学生に対し、履歴書の書き方、エントリーシートの書き方のセミナーを開催し、県内大学在籍留学生の就職率の向上と、県内企業の国際化及び国際競争力の向上を図る。

○日本語を母語としないJSL生徒の高校受験支援
高校受験を希望する生徒のために、通常授業日の午後に特色化選抜試験に対応する作文、面接を中心に英語、数学支援等の受験生特別支援を行い、高校進学を促進する。

○多文化共生情報ネットワーク事業
市原市内に多く在住し、情報が届きにくい南米系外国人のために、「広報いちはら」や新聞、雑誌等の記事で生活に必要となる情報をスペイン語やポルトガル語に翻訳し、それを外国人に届ける情報伝達システムを確立する。翻訳チームの整備や南米系外国人との信頼関係、情報ネットワークを築く。

○外国人の子どものための勉強会
外国人と日本人がコミュニケーション(交流・集い)の場をもち、互いを理解しあい、共生を進める。地域の同年齢、同学年の外国人生徒と日本人生徒の双方に参加を呼びかけ、交流する「中・高校生の集い」を開催し、対等な立場で身近なことを話し合い、お互いを分かり合うきっかけをつくる。

参照 ちば国際情報広場(「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」の委託について)
http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kokusai/foreigner/tabunka/tabunkakekka2009.html


八千代市は、人口19万人。東京の東、千葉県北西部にあり、東京から直線距離で40キロに位置する衛星都市である。40キロという距離がどれぐらいかというと、東京から西に40キロ進めば町田・相模原、三多摩地域に進めば八王子、北に進路をとれば大宮・上尾になる。東京の外縁を囲む国道16号線がこれらの衛星都市を環状に結んでいる。
八千代市の北東部には印旛沼がある。印旛沼の水は、一部は千葉県北部を横断する利根川に合流し、銚子から太平洋に流れていく。また一部は八千代市を南北に縦断する新川を流れ、千葉市花見川を経て東京湾にそそぐ。かつて利根川が氾濫していた頃は、増水した水が印旛沼に逆流し、さらには八千代市の新川流域を冠水させたという。現在では新川に排水機場がつくられ、冠水することはなくなった。
八千代市は1950年代末に大規模な住宅開発を開始する。陸軍演習場の跡地に複数の住宅団地が造成され、東京で働くサラリーマン世帯が集住する住宅都市を形成していった。京成本線八千代台駅から船橋駅まで約15分、日暮里駅までは約40分。60年代当時、八千代台駅には毎朝一万人の通勤客が列をつくったという。
住宅開発と並行して、工業団地の建設と工場誘致が行われる。市を南北に縦断する国道16号線を挟んで、西側に八千代工業団地、吉橋工業団地、16号の東側に上高野工業団地が造成された。
16号線の東側に位置する村上団地は、70年代後半、上高野工業団地に隣接してつくられた住宅団地である。ここは、東京に通うサラリーマンの「ベッドタウン」としてだけでなく、上高野の工場や倉庫に勤める労働者に向けた、職住近接の性格をもった住宅団地だ。起伏の大きい丘陵地に、5階建て程度のマンションと、一戸建て住宅が並ぶ。住宅地の東側には、幅約100メートルの緑地帯を挟んで、上高野工業団地がある。ここで操業する工場・倉庫は現在約50社。機械、化学製品、食品工場が並び、ダイエーの流通センターや、インターネット通販で知られるアマゾンの配送センターなどがある。ひとつひとつが大きな敷地をかまえ、航空写真で識別できるほど大きい。郊外の工場・倉庫群は、東京・千葉の大都市圏を支えるバックヤードとして生産と物流を担っていて、たとえばコンビニエンスストアで販売される弁当やおにぎりは、こうした場所でつくられ配送されている。工場の求人は、時給900円から1300円。賃貸住宅の情報誌を見ると、村上団地にある3DKのマンション(6・6・3・DK6、51平米)が、一月5万円ほどで貸し出されている。
ここに、外国人移住労働者が家族を伴って暮らしている。
「むらかみインターナショナル子どもサミット」のパンフレットから、ふたたび引用しよう。

「村上地区5校の小中学校には、現在70名を越える外国人児童生徒(日本語を第2言語とする児童生徒)が在籍している。国籍はブラジル、ペルー、フィリピン、メキシコ、アルゼンチン、中国、ボリビアの7カ国である。八千代市で最も外国人生徒が多い地区である。こうした外国人児童生徒が、学校を超えて交流していけば、地域への所属感が高まり、児童生徒のアイデンティティの確立にも寄与できると考え、ここに一堂に会することとなった。
また、参加していただく外国人児童生徒の保護者が、日本の教育に対する理解を深め、地域に対する信頼感を高める機会ともとらえている。今後は外国人児童生徒と日本人児童生徒との交流も計画している。このサミットを契機に、村上地域に住む全ての人達が、「多文化共生社会」について真剣に考え、一歩でも前進していくことを期待している。」

この文章が言外ににじませているのは、外国人(ニューカマー)の子どもたちが学校を離れてしまうことへの危惧である。もっと直接的に言えば、学校に行かない子どもが地域をぶらついたりたむろしたりすることへの危惧だ。学校は地域社会を結びつける強力な、そしておそらく唯一の場だ。子どもたちが学校に適応しなかったり、不登校が常態化することは、すなわち外国人移住者の日本社会からの離脱であり、地域社会の破綻に直結する。問題は、どのようにして彼らを着地させるかである。「多文化共生社会」の焦点は、教育の問題である以前に「社会づくり」の問題であり、新しい住民をめぐる都市政策の問題なのだ。

一般に、都市郊外は二つの性格、二つのベクトルをもって拡大する。ひとつは都市からの排除と周辺化を示す「場末」としての郊外。もうひとつは、都市を離脱して新たな生活環境を模索する「新天地」としての郊外である。
「場末」としての郊外は、都市が歓迎しない工場や公共施設(ごみ焼却場や斎場霊園)がうち寄せられるようにして配置される。そこには、都市中心部に入れない低所得層や外国人移民が集住する。「場末」は、成長する都市のダイナミズムと活力が表現される場だ。
「新天地」としての郊外は、都市の環境を離れたより良い住環境を求めて、主に中堅所得者によって担われる。都市の喧噪や人いきれを離れて、静謐と良い空気を求めて、住宅と住環境が開発されていく。「新天地」は都市の都市的性格を抑制し、ときには拒絶する。歴史的な視点を離れたある種のユートピア主義、生活保守主義がいかんなく発揮される場だ。
そして郊外とは、「場末」と「新天地」という相反するベクトルが交錯する場だ。多くの場合、都市郊外とは、「場末」かつ「新天地」なのである。地域と学校はこの二つの葛藤をはらんでいて、ここでは、日本語を母語とするか否かという社会の分化だけでなく、「場末」の子どもか「新天地」の子どもかという、より深刻な分化にさらされているのである。不登校は、外国人の子どもだけとは限らない。低所得層の子どもたちは、進学や雇用の面で今後ますます「外国人化」し、日本社会から排除されあるいは離脱していくだろう。「場末」と「新天地」の葛藤は増していく。快適で安全な住環境をもとめる中堅所得者たち、傷つきやすく了見の狭い人々は、今後ますます「隣人問題」に悩まされるだろう。
「多文化共生社会づくり」事業は、両義性をはらんでいる。この事業は、郊外がはらむ「場末」的性格を洗浄し、安全な「共生」を実現することになるのだろうか。それとも、「共生」という「隣人問題」の枠を超えて、グローバル都市の新たな論理と新たな途を示すのだろうか。村上駅前のイトーヨーカドーでコーヒーを飲みながら考えた。明るく、清潔で、穏やかな場所だ。歴史も世界も忘れてしまったかのようなユートピアじみた商業空間。このとりすました郊外の空間が、子どもたちの手によって転覆されるかもしれないと想像して、興奮した。

(『リプレーザ2』 Spring2010)

たちよみ『原子力都市』 藤里町

 この町の位置と変化は、大きな公共施設とともに現場に残されていた。事件報道のカメラが押し寄せた町営住宅から、県道を北上し車で5分ほどの場所に、「環境省白神山地世界遺産センター藤里館」がある。藤里町は、白神山地の南端に位置する観光都市だったのだ。
一九九三年、白神山地は「世界自然遺産」に認定された。世界遺産センターには、白神山地の森とそこで生きる鳥やカエルや昆虫が、模型や写真パネルとなって展示されている。森の生態系は観光資源となり、ここから発信された森のイメージは、グラフ誌やハイビジョン放送やアニメーション映画を通じて、すでに私たちの眼に届けられていたのである。二〇〇六年のメディアスクラムからさかのぼって十三年前に、藤里町の見世物は始まっていたのだ。

この間、藤里町には二つのカメラが持ち込まれたことになる。観光宣伝のカメラと、事件報道のカメラである。森の自然を賞賛し観光資源に仕立てるカメラと、挙動不審な女を摘発するカメラ。二つのカメラはそれぞれの現場を分担しつつ、見世物を整備するひとつの都市計画を推進する。二つのカメラがとらえたイメージは全国に、ときには世界に配信され、愛でるべきものと摘発すべきものを私たちの眼に焼きつける。フェティッシュに視覚化されたイメージが藤里町と私たちを接続し、そのイメージと視線がつくりあげる新たな位相の都市空間に藤里町は組み込まれているのである。視覚イ

(『原子力都市』 以文社 2010)

たちよみ『原子力都市』 旧上九一色村

 オウム真理教の組織と実践は、国家の提示する「田園都市」というモデルに見事に応答するものであった。工業都市が生み出した富を否認した人々は、彼らなりの脱工業化を模索し、構想していったのである。
はじめはヨガから始まったおだやかな修養プログラムは、次第に荒々しい方法に変わっていく。さまざまな器具や機械や薬物が開発され、人体実験が繰り返される。出家信者が住まう施設は、研究と教育の拠点であると同時に、先端技術を駆使して兵器を生産する工場となっていくのである。
オウム真理教が上九一色村に工場を建設する1990年代、全国26地域の「テクノポリス」は、すっかり熱を失っていた。計画目標を達成した地域はほとんどなく、日本版シリコンバレーの夢は実現しなかった。そして人々が「テクノフィーバー」を忘れようとしていた頃、サティアンと呼ばれる工場群は、小さな「テクノポリス」として成長していた。全国でただ一つ実現した、内陸型の、産・学・住を備えた、知識集約型工業都市。国の承認を受けない27番目の「テクノポリス」は、その高い技術力と生産性を世界に示した。そこには、反民主主義を基軸にして人間を徹底的に奴隷化する「テクノポリス」が実現したのである。


(『原子力都市』 以文社 2010)

たちよみ用『原子力都市』序文

序文

本書に収められたエッセーは、2006年から2年間のあいだ、いくつかの土地を歩き書いたものだ。
どんなところであれ、人が生きる土地には人の手が加えられていて、都市化されてきた歴史がある。都市の歴史はいくつかの時代が地層をなして折り重なっているものだろう。そして、歴史とは現在を基点にして遡っていくことでしか見えないものなのだとすれば、問題となるのは、現在という時代をどう規定しどのようなものとして捉えていくか、である。

「原子力都市」は、ひとつの仮説である。
「原子力都市」は、「鉄の時代」の次にあらわれる「原子の時代」の都市である。「原子力都市」は輪郭を持たない。「原子力都市」にここやあそこはなく、どこもかしこもすべて「原子力都市」である。それは、土地がもつ空間的制約を超えて海のようにとりとめなく広がる都市である。
都市が尺度を失っているという主張は、ずいぶん拙速で観念的な主張だと感じられるかもしれない。しかし、実際に街を歩いてみてほしい。充分に時間をとって何日も街を歩いてみれば、私が何を言わんとしているか感じてもらえるはずだ。

原子力都市の新たな環境のなかで、人間の力はいまはまだ小さな犯罪や破壊行為におしやられている。だが、こうした小さなうごめきもいつかは、政治と文化をめぐる一般理論を生み出し、確固とした意思を持つことになるだろう。この無数のうごめきがはらんでいる創造性を解き放つために、いま考えなければならないことがある。
生活が味気ないというだけの話はもうそろそろきりあげて、次の話をしようと思う。

(『原子力都市』 以文社 2010)