2010年10月5日火曜日

海賊研報告「なぜバッカニアは散財するのか」

前回の海賊研究会では、『カリブの海賊』(ジョン・エスケメリング著 石島晴夫編訳 誠文堂新光社)を読んだ。これは、オランダ出身の著者エスケメリングが、1666年から6年間、海賊の船医として船に乗り見聞したものを書いたルポルタージュだ。近代海賊のなかでもとくにバッカニアを知る上で重要な基本文献である。研究会では、慶応大学の学部生Yくんがレジュメを書いてくれたが、ここでは個人的な覚書をのこしておきたい。

バッカニアは、私掠船(プライヴァティア)の時代の後に、プライヴァティアから派生して登場した海賊である。船長はフランス人やイギリス人で、襲撃対象はプライヴァティアと同様にスペイン船・スペイン人集落である。わかりやすい例で言えば、映画『パイレーツオブカリビアン』で描かれている海賊たちは、典型的なバッカニアだ。映画のなかで「男たちの楽園」として描かれているトルトゥーガ島は、ハイチ島の北にある小さな島で、実在したバッカニアの島である。
バッカニアの特徴は、つねに酒を飲んでいること、手に入れた金はすぐに酒と女に使って散財してしまうこと、である。バッカニアは略奪した金を等しく分配する。船長、航海士、船医、船大工等の技術職はその分の手当が割増しされ、負傷者にはその負傷に応じた手当がつけられる。つまり、略奪した金は残らず山分けされてしまう。だから、ひとたび作戦が成功すれば、どんな若い下っ端でも大金を手にすることになるのだ。エスケメリングのルポでも、バッカニアたちが莫大な金を手にして、またたくまに散財してしまうことが繰り返し書かれている。ある極端な例をあげれば、ワインの大樽を道に置いて誰彼かまわず通行人に振る舞い、遠慮するものには銃を突きつけて脅しむりやり飲ませた、というほとんど常軌を逸した散財ぶりだ。この散財は、同じ近代海賊にあって、プライヴァティアとバッカニアを隔てる大きな違いである。

なぜバッカニアは散財するのか

なぜバッカニアは散財するのか。考えられる理由は二つある。
第一の理由は、海賊が横行する当時のカリブ世界では、近代国家の警察力が及ばず、私有財産が保護されないという事情がある。ここでは、自分の財産は自分で護るしかない。だから、自分が護ることのできる範囲を越えて大きな財産を持つことは、不可能ではないが、とても危険なのである。
カリブの海賊にまつわる伝説に、「隠し財宝」伝説がある。スティーブンソンの小説『宝島』は有名だし、映画『パイレーツオブカリビアン』でも隠し財宝が主題となっているが、こうした寓話が教えるのは、「隠し財宝は呪われている」ということだ。莫大な富は人間を狂わせ、嘘と不信と裏切りの果てにむなしく死んでいくのだ。現代の我々の社会では、国家の法と暴力装置が私有財産を無条件に保護しているから、我々は不安を感じることなく無邪気に蓄財することができる。しかし、法と国家暴力が私有財産を保護しない世界では、蓄財は死と隣り合わせの冒険であり、その範囲はおのずから制限されることになる。バッカニアが金を等しく分配し散財すること、しかも速やかに散財してしまうことの理由には、第一に自らの身の安全を確保するという狙いがあっただろう。

カリブの正義
バッカニアが散財する第二の理由は、彼らがカリブ海の地域経済に依拠していることである。
バッカニアの出自には大きく分けてふたつの流れがある。
1、フランス・オランダ・イギリスなどのヨーロッパ人が植民のために移住したものの、植民地経営の失敗によって本国から置き去りにされた棄民。
2、奴隷貿易によって売り飛ばされてきたアフリカ人が、叛乱を起こし自由になった逃亡奴隷(マルーン)。
以上の二種類の無法者が、小アンティル諸島からハイチ・ジャマイカで入り混じり、混血的・無国籍的な独特なカリブ世界を形成していった。
先行するプライヴァティアが、イギリスやフランスやオランダなどに籍をおく私掠船であり、部族的性格を色濃くもっていたのに対して、バッカニアにはそもそも明確な国籍がない。例えばイギリスの有名なプライヴァティアであるフランシス・ドレークは、スペイン植民地から略奪した財宝の一部をイギリス王室に献上しているのだが、バッカニアたちはそういうことをしない。バッカニアが略奪した財宝は、ヨーロッパに運ばれることなく、すべてカリブの地域経済のなかで消費されるのである。
略奪した金をカリブ海地域で消費することは、海賊行為を継続するうえで不可欠な条件であったと考えられる。なぜなら、バッカニアの海賊事業はどの国家も支持しないのだから、地元の民衆の支持があってこそだ。バッカニアたちが散財によって地元経済に貢献しないのであれば、彼らは港に入ったとたんに密告され摘発されてしまうだろう。
バッカニアがカリブ民衆の社会的支持を得るための、もっとも明快な解答は、どんちゃん騒ぎをして散財することである。この散財は、ある側面を取れば、買収である。また別の側面を取れば、社交である。それは、飢えと乾きを知る者たちが正義を表現する社交(パーティー)である。スペイン人が南米で収奪した金銀は、カリブ海を素通りしてヨーロッパに渡り、飢えも乾きも知らないスペイン王室に献上される。これを横取りしまんまとお宝を持ち帰ることは、カリブの貧民の正義であって、トルトゥーガの港中が歓声を上げるような戦果である。富と正義を一度に手にしたときの民衆の興奮は想像に難くない。バッカニアはカリブの民衆とともにあった。バッカニアを取り締まるべき立場にあった英仏の海軍総督にしても、バッカニアにたいするシンパシーが無かったとはいえないのだ。

もうひとつのプロテスタンティズム
バッカニアを主導した船長や技術者たちは、そのほとんどはプロテスタントであった。ハイチに植民したフランス人・オランダ人、ジャマイカに植民したイギリス人たちは、いずれも貧しいプロテスタントである。
彼らはプライヴァティアのような「海賊資本家」になることは出来なかったし、北米のピューリタンのような近代資本主義を形成することもなかった。彼らはただカソリック(スペイン人)を虐殺し、略奪し、カリブの地域経済に富を分配したにすぎない。
ヨーロッパ史の視点でいえば、ここにはプロテスタントが辿ったもう一つの歴史がある。マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』になぞらえて言えば、バッカニアには『亜プロテスタンティズムの倫理と反資本主義の精神』と呼ぶべきものがある。いまはまだ充分に検証されてはいないが、そこには大航海時代が生み出した社会史的発明があったのだろうとおもう。現代の無政府主義者がバッカニアを敬愛するのは理由がないことではないのだ。