2010年12月17日金曜日

よくある質問「なぜいま海賊なのか」

昨日は、週刊金曜日の不定期連載「格闘する思想」のインタビュー収録で、本橋さんと対談。
本橋さんから「なぜいま海賊なのか」という問いを受けて、しばし沈黙。
言われてみれば、海賊。なぜ私はこんなことを言っちゃってるのか。改めて考えてみた。
私からの回答は、我々の(または全般化した)「場所の喪失」ということなのだが、ここにもう一つ含意させておきたいのは「自治の再構築」である。

順を追って説明しよう。
資本蓄積がうみだす過剰資本は、国内外への「資本の輸出」を促す。第二次大戦後、高度経済成長を果たした日本では、蓄積された過剰資本は国内への都市開発・不動産投資に振り向けられてきた。金融資本が主導する都市開発は、短期的な収益をもとめて空間の商品化を押し進めてきた。この空間再編は、実体的な生活経済・生活文化を破壊し、「情報化社会」を促すおおきな要因となってきた。空間の商品化(情報化)の運動は、人間が住まう場所としての性格を「前進的粉砕」(ローザルクセンブルグ)する過程であったと言えるだろう。かつて、職場や学園には自治的性格をもった場所があり、人間はこれらの場所を通じて、社会的な(社会化された)知性を共有していたのだが、現在ではそうした場所に触れることは稀である。都市開発による空間再編が労働組合や学生自治会を掃討した後、現代の若年労働者と学生は、なんらかの自治空間に身を置く前にメディアを通じた情報(指令)にさらされ、実体と離れた観念的な議論に組み込まれてしまうのだ。
80年代以降に活発化するフリースペース運動、そして現在のソーシャルセンター運動は、都市開発(金融・不動産資本)への直接的対決という意図を含んでいる。そしてこうした運動が存続するために必要な前提となるのは、自治をめぐる明確なイメージを提示することである。想像される「自治」が宗派的傾向に陥らないために、また農民的共同性に陥らないために、必要なのは、我々が都市の海賊であることを自認し、海賊を宣言することなのだ。
いや、冗談で書いているのではない。私は真面目にこう考えている。
いまどんびきしただろう。いいよ、べつに。
おれはもう頭のネジがきれてんだから、そんなこといまさら言ったってどうしようもないのだ。


さて明日は今年最後の海賊研究会。
廣飯さんの研究報告。内容はまだ不明だが、おそらく近代(近世)の東シナ海についてとんでもない話が飛び出すでしょう。
12月18日15時から。新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。





おまけ(本文とは関係ありません)


追記
 現代の都市的現象を特長づけている、観光・防犯・地域浄化は、場所の喪失に伴う「自治」の(想像的)回復と見ることができる。空間の商品化は、そこに住まおうとする人間にたいする監視・選別を惹起し、偽の「自治」を形成する。この文脈においてはじめて、現代の排外主義運動の土台を理解することができるだろう。かつて「同化主義」右翼が産業資本主義に対応していたように、現代の「排外主義」右翼は脱工業化した情報資本主義のスペクタクルに対応しているのだ。