2010年10月21日木曜日

尖閣諸島の何が問題か

解体する自民党の残党なのか、右翼市民運動が元気だ。まったく不愉快だ。私の行動範囲には右翼がいないので普段の生活に支障はないのだが、それでも奴らが大規模なデモをやったりしていると、そういうお寒い話題が耳に入ってきてしまう。「尖閣諸島問題で右翼が騒いでいる、こちら側の見解を出すべきではないか」とか。あーいやだいやだ。こういう幼稚な話題に引きずられるのは本当に不愉快だ。名誉のために言うが、海賊研究会では尖閣諸島うんぬんはまったく話題にものぼらない。考える価値がないから。しかしこの「問題」、どう考えたら良いかわからないという初学者のために、簡単に見取り図だけ書いておこう。

右翼の提起するところによれば、尖閣諸島問題とは国境問題である。尖閣諸島は日本領か中国領か。海賊研究の見地から言えば、これは偽の問題設定である。攻撃にさらされているのは「日本領」でも「中国領」でもなくて、その海で稼いでいる漁民である。議論されるべき問題の本質は、海上保安庁が国境管理にかこつけて漁船を拿捕したことにある。民主党前原と海上保安庁が調子に乗っている、ということだ。

順を追って説明する。
1、国家権力は万能ではない。国家はつねに妥協を強いられいて、支配できる領域と支配できない領域を抱えている。国家が支配できない領域は、大衆・民衆の組合が取り仕切っている。教育の自治(教授会や学生自治会)、労働組合、生活協同組合、商工会、入会地の管理組合などがある。これを二重権力という。
2、1970年代末から世界政策となっている新自由主義政策は、二重権力の解消を目指す。教育「改革」、労働組合つぶし、公共サービスの民営化を通じて、経済活動は金融資本による一元支配に向かう。
3、新自由主義にかぶれた政治家(民主党前原など)は、必然的に国家主義者になる。国家には手を触れてはいけない領域があることを彼らは知らないし認めない。国家による「統治」が万能であると信じている。
4、しかし彼らには残念なことに、海に縄は張れない。海は法の外にあり、なし崩しで、とりとめがない。そして海であれ陸であれ安定した入会地には、法の外の掟があり秩序がある。沖縄・台湾・中国の漁民たちが、互いを殺したり誘拐したりという話は聞かない。彼らに国境はないし「国境問題」など存在しない。海上保安庁がちょろちょろしなければ何も問題は起きなかっただろう。

結論 海上保安庁による漁船の拿捕は、中国の漁民のみならず沖縄の漁民にも緊張を強いるものだ。こんな馬鹿馬鹿しい権力発動は、誰の得にもならない。民主党前原は魚を食う資格なし、だ。

2010年10月15日金曜日

「キャンディーズとピンクレディー」、どちらが海賊的か

 宿題がたまっているのに、手がつかない。こういう時に限って、どうでもいい余計な考えが頭の中をグルグルしてしまうものだ。いま私の脳内をうずまき占拠しているのは、「キャンディーズとピンクレディー、どちらが海賊的か」という、ほんとどうでもいいような問題だ。若い読者からすれば「どっちも知らないし知ったこっちゃねーよ」ってところだろうが、こういう謎な小ネタに脳を占拠された私としては、さっさと雑文にして片付けておきたい。
さて、「キャンディーズとピンクレディー」、どちらが海賊的か。
結論から先に言ってしまうと、解答は「ピンクレディーが海賊」である。これはあらためて証明する必要がないぐらい完全に自明なので、いちいち頭を悩ます問題ではない。たぶん私が頭を悩ましているのはピンクレディーの海賊性ではなくて、「キャンディーズってなんなのか」という事だとおもう。

簡単におさらいしてみる。
キャンディーズは、1972年から78年まで活動した女性3人のグループ。76年の「春一番」が有名。ファンはほぼ若い男性で、揃いのハッピを着た「親衛隊」なるもの(今風に言えばキモオタ)が結成されたりしていた。解散の際には、後楽園球場に55000人のキモオタが集まり号泣したという。
ピンクレディーは、1976年に結成された女性デュオ。「ペッパー警部」、「S.O.S」、「渚のシンドバット」、「UFO」など、ヒット曲多数。ファン層は広いが、とくに女子児童に絶大な人気を誇った。ピンクレディーの振り付けは大流行し、サンダルやバック、自転車などのキャラクターグッズが作られた。79年にアメリカ進出、ビルボードTOP100で「Kiss in the Dark」が37位にランクイン。

こうして並べてみてわかるのは、キャンディーズとピンクレディーを並べること自体が不当、ということだ。なぜ並べちゃったのか。反省しきりだ。しかも、「ピンクレディーとキャンディーズ」と言うならまだしも、「キャンディーズとピンクレディー」と言う。順番が逆、失礼すぎるだろう。かたや、国内でミリオンセラーを連発し海外進出まで果たしたピンクレディー。かたや、ヒットらしいヒットもなくキモオタを集めただけのキャンディーズ。これはもう、キャンディーズが不当に下駄を履かされていると言わざるをえない。いや、急いで付け加えれば、悪いのはキャンディーズではない。問題は、我々の(紋切り型の)表現や認識が、キャンディーズを不当に高く評価する「キャンディーズ上位」に歪んでしまっていることである。

さて、若い読者にはもう完全に意味不明な話になっているだろうが、ここから敷衍するのでもう少しつきあってほしい。
70年代後半、歌謡曲文化のシーンで、二つの出来事があった。
1、日本中の女子児童が、ハレンチ(死語)な格好をした歌手をまねてブイブイ踊っていた。
2、若い男の集団が、女性歌手をおっかけて声援をおくったり感動したりしていた。
一般に、キャンディーズが不当に高く評価される背景にあるのは、2の「若い男が集団で感動」というできごとが「社会現象」として認知されてしまったからである。キャンディーズのファン(元祖キモオタ)が後楽園球場で号泣する。当時の大人は強い違和感をもっただろう。そしてそこに「いまどきの若者の姿」を見て、つい「社会現象」と言ってしまったのだ。しかし、よく考えてみてほしい。キモオタが集まって号泣したからって、それがなんなのか。彼らがなにか文化を破壊したり創造したりしただろうか。冷静に考えてみれば、彼らにはただ「気持ち悪い」という以上のものはないのである。
真に社会現象と呼ぶに値するのは、1の「ブイブイ踊っていた女子児童たち」である。この子供たちはその後、「ハレンチ」という言葉を死語に変え、「はしたない」という基準をなし崩しにしていく。彼女たちのピンクレディーフィーバーがなければ、80年代の音楽文化やダンスカルチャーは成立しなかっただろう。彼女たちはたんに挑発的であるという以上に、到来する新たな文化の形成・再編に関与していったのである。

「踊る女児」と「キモオタ」。ふたつの出来事は、確かに同時代に起きた出来事ではあるが、それぞれが属している時間の地層は全く異なっている。そして時代を表象するのは、より比重の軽い、表面的な(内容のない)出来事なのである。時代を表象する「キャンディーズ」に、語るべき内容はない。それは、歴史がナショナルな尺度を設けて「国民の歴史」として記録(記憶)されるときにのみ要請される、つじつまあわせの表象である。国民の歴史(国民男性の歴史)が、ピンクレディーとともに進行する文化的変動を充分に捉えることができないときに、その認識の穴を埋めるのが「キャンディーズ」だったのだろう。「キャンディーズ」と「キャンディーズに熱狂した俺たち」は、はじめから歴史化されていて、過去へむかう時間に属していたのである。

2010年10月14日木曜日

『1968年文化論』

『1968年文化論』(四方田犬彦・平沢剛=編著 毎日新聞社)

献本をもらった。平沢君ありがとう。
この本、13人の書き手がさまざまな角度から「1968年文化論」を書いているのだが、
海賊研究会の常連がふたり参加している。

栗原康 「大学生、機械を壊す ー 表現するラッダイトたち」
福田慶太「文字の叛乱 ー 「ゲバ字」が持つ力と意味について」

栗原・福田両氏とも30代前半だが、この年代にありがちな拗ねた感じがなく、提起したいことをまっすぐに書いている。直球だ。
直球で書くというのは貧しいことなのだが、貧しさを力に転化するのが海賊の基本である。貧しい者がなんだかんだと理由をつけて力を出し惜しみしていると、甲板から海に突き落とされるのだ。なりふりかまわぬ蛮勇が、最大にして唯一の武器だと心得よ。って何の話だかわからなくなってしまったが、いずれにせよ、友人がちゃんとした文章を書いていると、気分が良い。酒がうまい。

2010年10月13日水曜日

エスネ・ゾパックのライブ

10月11日、新宿のMARSで、エスネ・ゾパックにインタビュー。
エスネ・ゾパックは、バスクからやって来た4人組のミュージシャン。
 http://www.japonicus.com/jap/esnezopak/index.html
http://www.youtube.com/watch?v=zcklmqQx7tE

インタビューの詳細は後日発表なのでいまは書けないが、
ライブを観て思ったのは、「海賊っぽいなあ」ということだった。
ひざ丈のズボンにサンダル、一人は完全に裸足。なぜ裸足で出てくるのか。船乗りなのか。
 PS(海賊研究)的には、「裸足のバスク人」に目が釘付けだった。

バスクは鉄鋼や造船で栄える先進工業地域だが、11世紀から16世紀にかけては、捕鯨活動を独占的に担っていたという歴史がある。近代になるとオランダやイギリスの捕鯨船が主流になるが、バスクはその後も多くの船乗りを輩出していった。造船技術と航海術をもつバスク人たちが、近代海賊の形成にどのように関わったかはまだ今後の研究課題。だが、大西洋を臨むバスクと、地中海に面するカタルーニャが、スペインを大いに手こずらせることになるという事実は気に留めておくべきだろう。

という妄想はともかく、ライブはかなり良かった。エスネ・ゾパックの前にやった浅草ジンタもかっこよかった。ひさしぶりに踊ったので、腰が痛い。

2010年10月10日日曜日

海賊研究会がおもしろくなってきた。ジョインナスだ。

この半年ほど、月2回のペースで海賊研究会をやってきた。最初は4人でゆるーく始めた研究会だったが、ようやく軌道にのってきたというか、エンジンがかかってきた。

ここで中間報告的にこれまでの流れを振り返ってみると、
第1回 廣飯研究報告(後期カール・シュミットの射程)
第2回 カール・シュミット『陸と海と』を読む
第3回 ユベール・デシャン『海賊』を読む(1)
第4回 ユベール・デシャン『海賊』を読む(2)
第5回 矢部研究報告(本源的蓄積過程と近代海賊)
第6回 ゲスト白石嘉治氏の講義(人類学者ピエール・クラストルの発見)
第7回 江ノ島で海水浴
第8回 Stephen Snelders『The Devil's Anarchy』を読む
第9回 ジョン・エスケメリング『カリブの海賊』を読む
第10回 Peter Lamborn Wilson『Pirate Utopias』を読む(1)

こうして振り返ってみると、16世紀から18世紀の近代海賊を主要にやってきたのだが、おそらく海賊という概念が形成されたのが近代なのだから、当然そういうことになるだろう。

次回は少しだけ近代を離れて、
第11回 別枝達夫『海賊の系譜』を読む。

次々回はノンフィクションライターの小野登志郎氏をゲストに招き、中国福建省の「黒社会」について講義を聴く。小野氏は、新宿歌舞伎町の「中国マフィア」に取材を重ね、昨年『龍宮城』(太田出版)を出版したノンフィクションライター。現代海賊を考えるための刺激的な議論ができると思う。
今後は、近代海賊の研究をベースにしつつ、南シナ海やインド洋の現代海賊にもふみこんでいきたい。あと、ネグリ/ハートの『帝国』も海賊的な角度でやらなきゃだね。

ちなみに海賊研究会は、アナーキストの集まりではありません。「海賊共産主義」なんて言ってるのは矢部だけで、あとは普通の学生と研究者の集まりです。勉強したい人は気軽にきてください。
次回は10月23日15時から、新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。

2010年10月9日土曜日

ブックファースト新宿店でブックフェアやるそうです。

ブックファースト新宿店(西口の方のお店)が、11月6日にオープン2周年ということだそうです。おめでとうございます。
オープン2周年記念で「名著100選」というブックフェアをやるということで、私も推薦の一冊と紹介文を送りました。
私が選んだのは、

ベンヤミンの『暴力批判論』。 です。

「暴力批判」というタイトルだけ聞くと、「なんだ海賊らしくねーなフツーじゃん」と思われるかもしれませんが、この著者のベンヤミン、ある意味、海賊ですから。内容は全面的に警察批判です。
海賊らしく短いエッセーなので、くりかえし読みましょう。
まだ持ってない人は、ブックファーストで(どこでも売ってるけどね)。

2010年10月8日金曜日

歴史、伝説、デマゴギーについて

明日は海賊研究会。
ピーター・ランボーン・ウィルソン(別名ハキム・ベイ)の『Pirate Utopias』(ピラテ・ユートピアス)を読んで、レジュメを書かなきゃいけないのだが、もう英文読むの疲れた。ので、少し休憩。日本語を書く。

海賊研究会はけっこうやばい。なにがやばいかというと、海賊の歴史は資料が少なくまだ未開拓の分野なので、一歩まちがえば妄想大会になってしまう。7月下旬の研究会報告から抜粋すると、次のようになる。

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海賊研究の方法的問題
海賊の歴史は古く、おそらく有史以前から海賊が存在したことは疑いない。しかし海賊の歴史研究には大きな困難がつきまとう。海賊行為はその本性からして非公然的であり、存在の秘匿が生命線である。そのため、海賊の存在を証しだてる遺跡は残されず、文書等の記録も少ない。部分的に記録された証言の類も、真実か虚偽か検証することができない。あるときは摘発を逃れるためになりを潜め、あるときは自分が行った行為を他人になすりつけ、またあるときは、相手を威嚇するために実際よりも話を大きくする。海賊は同時代の人々を欺くためにさまざまな工夫を凝らし、実際に欺いてきたのだから、後代の我々がその真の姿を知ることはさらに難しいのである。
こうした単純で強力な理由から、海賊の歴史研究は実証主義の方法を断念させられることになる。遺された証拠や明らかにされた事実からだけでは、海賊の姿は見えてこない。海賊に関わる記録はすべて疑わしい。そしてそれにもかかかわらず、我々は海賊の存在を疑わない。海賊が神話ではなく人類史の重要な一部であることを疑わないのである。
海賊研究は、歴史の領域と伝説の領域との両側に足を置き、検証できるものと検証しえないものをまたいでしまうことになる。したがって海賊研究は、歴史をめぐる方法的立場を慎重に選ばなくてはならないし、新しい方法的立場を大胆に希求しなくてはならない。
(2010/07/17 矢部)
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たとえばいま読んでいる『Pirate Utopias』では、モロッコの大西洋岸にある「サレ」(Salé)という街が登場する。サレは現在のモロッコの首都ラバトに隣接する古い街なのだが、地中海側のアルジェリアやチュニジアやバーバリーに比べ、残っている記録が少なく謎が多い。サレもまた他の北アフリカ諸地域と同じく、レネゲイド(キリスト教を捨てたヨーロッパ人)の海賊の巣窟となっていたらしいのだが、P・L・ウィルソンは、17世紀頃にサレに実在した「海賊共和国」が重要なのだと言う。すでにこのあたりから眉唾なのだが、P・L・ウィルソンがものすごいのは、このレネゲイドたちが建設した「サレ海賊共和国」は、その直後に始まるイギリス清教徒革命に思想的モデルを与えた、という説なのである。それだけではない。独立革命後のアメリカのコモンウェルスや大革命後のフランス共和制が二院制を採用するのは、「サレ海賊共和国」の二院制を原型にしているのだ、と。これには驚いた。「海賊共産主義」なんてものを唱えている私だが、翻訳しながらあっと声をあげた。民主主義の原型が海賊! どはずれた構想力! 「やられた!」って感じだ。

伝説のための闘い
さて話は変わるが、かつて私が敵対していた「在特会」「主権回復を目指す会」について、これにどう対処するかについて、いまさらながら立場を明確にしておきたい。
京都朝鮮初級学校に対する襲撃から、彼ら右翼に対する法的措置(民事訴訟)と現場実力行動が組織されてきた。それに加えて刑事事件としても立件されたことで(京都・徳島)、彼らの組織実体はもうガタガタのフラフラである。ただし問題は残る。事件をめぐるこの間の報道に見られるように、彼らのデマ(在日の特権というデマ)はいまだ是正されていないのが実情である。こんごの課題は、彼らの散布したデマをどうやって片付けるかである。
デマに対抗・是正する方法として、消極的批判と積極的批判が考えられる。
1、消極的批判は、彼らの唱える「在日特権」なるものが、事実ではないこと、根拠の無い思い込み、錯誤に基づく都市伝説であることを明らかにする。
2、積極的批判は、彼らの唱える「在日特権」なる問題の設定が、凡庸で退屈なこと、志が低いこと、人間が小さいことを明らかにする。
賢明な読者はもうオチが見えてしまったと思うが、海賊研究を志す私としては、2の積極的批判を展開するべきだと考えている。
我々のような階級は、正統な歴史にはまったく関わりをもたない、歴史のクズ(scum)である。クズは、歴史書よりも実話誌に親しみ、思い込みと錯誤にまみれた伝説を生きるものだ。「在特会」のデマに魅了されるようなクズは、それが事実であろうとなかろうと、自分の信じたい伝説を信じるのである。すでに15年前、歴史修正主義論争で有名になった「新自由主義史観」のクズどもは、「日本人が誇りを持てる歴史教科書を」と宣言していたわけで(これは学術的にはとても恥ずかしい声明だったのだが)、クズにとって歴史の事実などというものはなんの重みももたないのである。
したがって、クズのクズによる闘いは、それが事実である否かを問うことではなく、その伝説の内容を争うこと、我々クズがどのような伝説を想い生きるのか、を問うことである。L・フェーブルの講義録『歴史のための闘い』になぞらえて(その精神を継承するべく)言えば、海賊研究者は「伝説のための闘い」を運命づけられている。右翼ナショナリズムのクズと、海賊共産主義者のクズと、どちらがより大きな欲望を惹起するのか、勝負だ。


※ピーター・ランボーン・ウィルソンの独占インタビューが、
今年発売された『VOL』4号(以文社)に掲載されている。
http://www.ibunsha.co.jp/index.html
かなりおもしろい。読んでみてほしい。

2010年10月5日火曜日

海賊研報告「なぜバッカニアは散財するのか」

前回の海賊研究会では、『カリブの海賊』(ジョン・エスケメリング著 石島晴夫編訳 誠文堂新光社)を読んだ。これは、オランダ出身の著者エスケメリングが、1666年から6年間、海賊の船医として船に乗り見聞したものを書いたルポルタージュだ。近代海賊のなかでもとくにバッカニアを知る上で重要な基本文献である。研究会では、慶応大学の学部生Yくんがレジュメを書いてくれたが、ここでは個人的な覚書をのこしておきたい。

バッカニアは、私掠船(プライヴァティア)の時代の後に、プライヴァティアから派生して登場した海賊である。船長はフランス人やイギリス人で、襲撃対象はプライヴァティアと同様にスペイン船・スペイン人集落である。わかりやすい例で言えば、映画『パイレーツオブカリビアン』で描かれている海賊たちは、典型的なバッカニアだ。映画のなかで「男たちの楽園」として描かれているトルトゥーガ島は、ハイチ島の北にある小さな島で、実在したバッカニアの島である。
バッカニアの特徴は、つねに酒を飲んでいること、手に入れた金はすぐに酒と女に使って散財してしまうこと、である。バッカニアは略奪した金を等しく分配する。船長、航海士、船医、船大工等の技術職はその分の手当が割増しされ、負傷者にはその負傷に応じた手当がつけられる。つまり、略奪した金は残らず山分けされてしまう。だから、ひとたび作戦が成功すれば、どんな若い下っ端でも大金を手にすることになるのだ。エスケメリングのルポでも、バッカニアたちが莫大な金を手にして、またたくまに散財してしまうことが繰り返し書かれている。ある極端な例をあげれば、ワインの大樽を道に置いて誰彼かまわず通行人に振る舞い、遠慮するものには銃を突きつけて脅しむりやり飲ませた、というほとんど常軌を逸した散財ぶりだ。この散財は、同じ近代海賊にあって、プライヴァティアとバッカニアを隔てる大きな違いである。

なぜバッカニアは散財するのか

なぜバッカニアは散財するのか。考えられる理由は二つある。
第一の理由は、海賊が横行する当時のカリブ世界では、近代国家の警察力が及ばず、私有財産が保護されないという事情がある。ここでは、自分の財産は自分で護るしかない。だから、自分が護ることのできる範囲を越えて大きな財産を持つことは、不可能ではないが、とても危険なのである。
カリブの海賊にまつわる伝説に、「隠し財宝」伝説がある。スティーブンソンの小説『宝島』は有名だし、映画『パイレーツオブカリビアン』でも隠し財宝が主題となっているが、こうした寓話が教えるのは、「隠し財宝は呪われている」ということだ。莫大な富は人間を狂わせ、嘘と不信と裏切りの果てにむなしく死んでいくのだ。現代の我々の社会では、国家の法と暴力装置が私有財産を無条件に保護しているから、我々は不安を感じることなく無邪気に蓄財することができる。しかし、法と国家暴力が私有財産を保護しない世界では、蓄財は死と隣り合わせの冒険であり、その範囲はおのずから制限されることになる。バッカニアが金を等しく分配し散財すること、しかも速やかに散財してしまうことの理由には、第一に自らの身の安全を確保するという狙いがあっただろう。

カリブの正義
バッカニアが散財する第二の理由は、彼らがカリブ海の地域経済に依拠していることである。
バッカニアの出自には大きく分けてふたつの流れがある。
1、フランス・オランダ・イギリスなどのヨーロッパ人が植民のために移住したものの、植民地経営の失敗によって本国から置き去りにされた棄民。
2、奴隷貿易によって売り飛ばされてきたアフリカ人が、叛乱を起こし自由になった逃亡奴隷(マルーン)。
以上の二種類の無法者が、小アンティル諸島からハイチ・ジャマイカで入り混じり、混血的・無国籍的な独特なカリブ世界を形成していった。
先行するプライヴァティアが、イギリスやフランスやオランダなどに籍をおく私掠船であり、部族的性格を色濃くもっていたのに対して、バッカニアにはそもそも明確な国籍がない。例えばイギリスの有名なプライヴァティアであるフランシス・ドレークは、スペイン植民地から略奪した財宝の一部をイギリス王室に献上しているのだが、バッカニアたちはそういうことをしない。バッカニアが略奪した財宝は、ヨーロッパに運ばれることなく、すべてカリブの地域経済のなかで消費されるのである。
略奪した金をカリブ海地域で消費することは、海賊行為を継続するうえで不可欠な条件であったと考えられる。なぜなら、バッカニアの海賊事業はどの国家も支持しないのだから、地元の民衆の支持があってこそだ。バッカニアたちが散財によって地元経済に貢献しないのであれば、彼らは港に入ったとたんに密告され摘発されてしまうだろう。
バッカニアがカリブ民衆の社会的支持を得るための、もっとも明快な解答は、どんちゃん騒ぎをして散財することである。この散財は、ある側面を取れば、買収である。また別の側面を取れば、社交である。それは、飢えと乾きを知る者たちが正義を表現する社交(パーティー)である。スペイン人が南米で収奪した金銀は、カリブ海を素通りしてヨーロッパに渡り、飢えも乾きも知らないスペイン王室に献上される。これを横取りしまんまとお宝を持ち帰ることは、カリブの貧民の正義であって、トルトゥーガの港中が歓声を上げるような戦果である。富と正義を一度に手にしたときの民衆の興奮は想像に難くない。バッカニアはカリブの民衆とともにあった。バッカニアを取り締まるべき立場にあった英仏の海軍総督にしても、バッカニアにたいするシンパシーが無かったとはいえないのだ。

もうひとつのプロテスタンティズム
バッカニアを主導した船長や技術者たちは、そのほとんどはプロテスタントであった。ハイチに植民したフランス人・オランダ人、ジャマイカに植民したイギリス人たちは、いずれも貧しいプロテスタントである。
彼らはプライヴァティアのような「海賊資本家」になることは出来なかったし、北米のピューリタンのような近代資本主義を形成することもなかった。彼らはただカソリック(スペイン人)を虐殺し、略奪し、カリブの地域経済に富を分配したにすぎない。
ヨーロッパ史の視点でいえば、ここにはプロテスタントが辿ったもう一つの歴史がある。マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』になぞらえて言えば、バッカニアには『亜プロテスタンティズムの倫理と反資本主義の精神』と呼ぶべきものがある。いまはまだ充分に検証されてはいないが、そこには大航海時代が生み出した社会史的発明があったのだろうとおもう。現代の無政府主義者がバッカニアを敬愛するのは理由がないことではないのだ。