2011年2月16日水曜日

チュニジアについて

 チュニジアの国家転覆について。

 路上での物売りを警察に規制されたことに怒り、焼身自殺をした若者がいる。彼の行動はインターネットメディアを通じて多くの人の知るところとなり、大規模なデモ・暴動をひき起した。また、チュニジア政府に関する文書がウィキリークスによって暴露されたことで、この動きは加速していった。

 注目するべきは、情報を瞬時に大規模に伝えるニューメディアだけではないだろう。おそらく国家転覆を可能にした力の源泉は、情報に文脈を与える知性である。高い大学進学率と第三次産業が整備する「一般知性」(言語能力とニューメディア)だけでは、暴動には発展しない。そこにもうひとつ、文脈を構成し精神に運動性を与える知性が、いま暴動とともに生みだされている。このことは2005年のフランス暴動の際に書いたのでくどくど繰り返さないが、暴動はひとつの知性である。カネとセックスと道徳の話しかできない阿呆は黙っているしかないのだ。

 チュニジア革命? そうかもしれないし、そんなものではすまないのかもしれない。国家転覆を「革命」と呼ぶことが、どこか古びたものになりつつあると感じられる動きだ。