2011年3月7日月曜日

板橋の「賊」へ。

 東京・板橋区で、警察官7人が1人の男を「制圧」して、殺した。
 死んだ男の容疑は「自動販売機荒らし」。被害額は不明。男が逃走したので取り押さえ、足首を結束バンドで締めた、容態が悪化したので病院に搬送した、と警察は報告している。
 現場で何があったのかは、まだはっきりわからない。きちんとした解剖が為されるかどうかも現在の時点ではわからない。
 ただ、警察にありそうなこととして予想できるのは、「制圧」、容態の変化、救急車の要請、病院搬送まで、そうとう時間がかかっただろうということだ。こうした現場では、警察官は必要な応急措置をとらない。ただ無線をいじるだけだ。大の大人が7人もいて腕をこまねいているのかと思われるかもしれないが、7人もいるからこそ彼らはゆったりと傍観する。1時間でも2時間でも放置する。そうしたネグレクトが常態化したなかで、死ぬべきでない人間が死んだのだ。

 警察に近しい場所に置かれた人間は、権力の言う「民主主義体制」がどれほど酷薄であるかを知る。
こうした場面では、兄弟愛(友愛)は机上の理想論ではなくて、実際に身を護るために必要な技法である。
近代国家が「官」と「賊」を分けたとき、また日々それを分けるとき、「賊」とされた者たちはなんらかの「兄弟」を構成する必要に駆られる。それが悪党であれ異端の教義であれ、国家暴力に剥き出しでさらされないためには、兄弟愛が要る。強い兄弟、強くなるための兄弟が。「自由・平等・兄弟愛」という理念は、人間が国家暴力とわたりあうための、民衆暴力の思想だ。
 現代の腐った「民主主義体制」に挽き潰されないために、私たちはもっともっと人権意識を振りかざし、声をあげるべきだ。仲間を殺された板橋の「賊」の諸君には、ぜひ警察に一矢報いてほしい。必要なら弁護士を紹介する。カネは心配しなくていい。なんとかなる。