2012年9月3日月曜日

ポスト運動の分析


ニューヨークから来日した建築家と、大阪で懇談。
テーマは、情報技術に支援された都市空間における集団行動の力学について。
ようするに、携帯メール時代の暴動(フランス暴動、ロンドン暴動、アラブ暴動、ギリシャ暴動)についてなのだが、日本の現在の状況にぐっとひきよせて言えば、スマートフォンによって支援された放射線防護活動について議論をした。スマートフォンと線量計・核種分析機の大規模な利用が、どのような「メッシュワーク」を形成していて、それがこれまで不可視化されてきた郊外住宅地域のポテンシャルをどのように引き出していくのか、と。
 彼らの分析の要点は、都市住民の集団的行為の組織化が、ネットワーク(諸団体・グループの結合)から、個人のレベルまで分解されふたたび織り上げられる「メッシュワーク」へと転換したということであり、これは、従来考えられていた「運動」を後景化させ、「ポスト運動」と呼びべきものを前景化させているということだ。2000年代半ばに登場したこの「ポスト運動」を、彼らは、「レゾナンス(共振)」という概念にまとめたのである。彼らの整理によれば、2007年のハイリゲンダムサミットをピークに「ムーブメント」は後景化していき、2005年のフランス暴動を皮切りに「レゾナンス」の暴動戦が登場した、というのだ。

ネットワークから「メッシュワーク」へ。
ムーブメントから「レゾナンス」へ。
組織され統合されるデモから、共振する無数の直接行動へ。
むちゃくちゃ楽しい。
来月、ニューヨークに行って話の続きをする。




追記

頭がぐるぐるして眠れないのでもう少し書く。
メッシュワークという概念が刺激的であるのは、われわれが通常考えている知性の定義を再検討させる契機になるからである。メッシュワークの極端に脱中心的な性格は、書くことや考えることを無効にするかのように見える。
以前、ダナハラウェイのサイボーグ論について紹介したが、米軍が核戦争のために開発したサイバネティックス技術がC3I(コマンド・コントロール・コミュニケーション・インテリジェンス)で構成されるのに対して、反国家のサイボーグはここからコマンドとコントロールを廃棄してしまうのである。いま多くの人々が経験して思い知ることになったのは、メッシュワークにおける情報交換は、コミュニケーション‐インテリジェンスだけで構成されていて、誰も指令できないし誰にもコントロールできないということである。ここでは、実践的な知識だけを必要として、実践的知識だけを交換しているのである。
例えば暴動戦をドライブさせる短文メールの大半は、警察の位置と員数、体勢、装備、車両の有無であるだろう。ここでの関心は、空間と警察の身体とがどのような配置にあって、どのような展開可能性をもっているかという情報である。必要なのはそのディテールと分析だけだ。放射線防護活動においてやりとりされる情報は、空間線量計の機種、ロケーションと高度、計測時間、μSVh、核種分析機であればその機種、対象品目、測定時間と検出限界、Bq/kgである。より詳細な情報として要求されるのは、対象のどこをどうサンプルにしたか、魚であれば切り身であるかそれとも骨や内臓を含めたのかというディテールである。
メッシュワークが要求する知性とは、我々が考えてきたような抽象度の高い理論ではなくて、より実践的でより身体に近い情報と分析能力なのである。
これまで「運動」を考えるとき、そこにはかならず理論が必要だった。偉大な無政府主義者は偉大な教育者であった。レーニンは機関紙こそが党の中核であると考えていたし、スターリンは「プラウダ紙」の主筆だった。透徹した頭脳たちが前衛的任務を自覚して社説を書くこと、これが運動にとって不可欠な要素であった。しかし、暴動戦や放射線防護のメッシュワークにとって、そんな脳みそで考える理屈はいらないのである。必要なのは、身体の実際を知っているかどうかだ。徹底的に身体に執着し、身体の限界を教えつつ身体をエンパワーメントできるかどうかなのだ。
状況をもうすこし俯瞰してみれば、現代という時代は、「脳死は人の死か否か」が議論され、うっかりすると生きている身体をバラバラに刻まれて転売されてしまう時代である。脳死臓器移植とは、脳こそが生命の核であり身体はその付属部品にすぎないとする思想であるわけだが、その同じ時代に現れたサイバネティックスの転用(メッシュワーク)は、頭のない身体だけの知性がひとつの生き物のようになって暴力を組織しているのである。ここで見るべきは、暴力が直接に行使されているということだけではなくて、暴力の組織化が、理論を媒介せずに直接に組織・集約されているということだ。暴力‐理論‐暴力ではない。暴力‐暴力-暴力なのである。
これはアナキストもおののく大発明である。冷戦の核/サイバネティックス戦争は、とんでもない怪物を生みだしたのだ。
これから我々は、警察のペッパーガスやβ線に傷つけられた甲状腺のう胞のなかに、詩を見出し、徹底的に身体化されたディテールのなかに思想を内蔵させることになる。