2013年3月1日金曜日

家族という残像




少し前の話になるが、『はだしのゲン』の著者、中沢啓治氏が亡くなった。
いまあらためて『はだしのゲン』を読み直してわかったのだが、この自伝的作品が描いているのは、家族の再生と解体のプロセスである。
原爆投下直後から東京に旅立つまで、ゲンはつねに人間の助け合いに努め、あらたな家族の再生を模索する。生き残った家族だけでなく、あらたに出会った人々も交えて、懸命に生活の再建に取り組んでいく。この部分だけを見れば、これは焼け野原で獲得されたユートピアの物語である。
しかしゲンの試みは最終的に挫折する。被爆地帯の家族は長続きしない。ある者は原爆症に倒れ、ある者は広島を離れ連絡が取れなくなる。最後にはゲンも広島をあとにする。この作品は、被爆者にとって家族は可能かという問いに始まり、離散によって終わるのである。

放射能は家族を解体する。人々はバラバラに解体され、分子状になる。
ここでわざわざ「分子」と書くのは、これが通常考えられている「個人」とは違うからだ。「個人」はその背景に家族をもち、家族に支えられている。たとえば「ブルジョア個人主義」というときの「個人」は、孤立した存在ではなく、妻や子を前提にした個人である。ブルジョア個人主義にとって家族とは、わざわざ言うまでもないあたりまえの存在である。
しかし、分子化された人間にとってはそうではない。分子化された人間にとって、家族とは磐石ではなく、あるのかないのか疑わしい不確かなものとしてある。
マルグリット・デュラス脚本の映画『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』もこのことを描いている。広島に一時滞在しているフランス人女性が、広島で出会った男とつかの間の情事に耽る。それは彼女が恋に落ちたからではないし、好色だからでもない。人間が分子状に解体され離散が永続するという環境を、彼女は生きているのだ。


放射能を前にして、家族は無力で疑わしいものになった。
例えば、福島県の汚染地帯に暮らす家族がそうだ。
以前、「復興がもたらす低開発」という項で書いたが、福島県では児童の健康調査が遅々として進まず、事実上棚上げにされている。医師の流出も止まらない。児童の人権の中でももっとも基本的な権利である保健衛生が、政策によって公然と放棄される。いつかは退避措置をとらなければならないにしても、「一挙に行うことは難しい」から、徐々に段階的にソフトランディングしていく、その時間稼ぎのための費用を児童の体に払わせている。
このとき、福島県に暮らす親と子、祖父母と孫の関係が、「家族」と言えるかどうかは、自明ではない。それは今後の健康被害統計の多寡に左右されることになる。ある家族が家族であったかどうかは、福島県立医大と放医研の公式発表に委ねられるわけだ。
汚染地帯のある家族が、「離れ離れに暮らしたくない」と言うとき、それは、「家族の絆が強い」からではない。むしろいま起きているのは反対のことであって、家族がかつての自明性を失い、なにかの残像に過ぎないものになりつつあるから、「離れ離れになりたくない」のである。
残酷な話だ。

いまわかりやすく福島県を例にしたが、問題は福島県にとどまらない。厚生労働省が100Bq/kgという基準で汚染食品を流通させているあいだ、全国の家庭でこの危機が経験されることになる。放射線防護派の不買運動が高い緊張感を維持しているのは、巷間言われるような「母性」だのなんだのではない。そういう不正確なレッテル貼りは、事態の性格を見誤る。いま起きているのは、家族の自明性が失われ、人間が分子状に解体・再編されるプロセスである。放射能は家族を解体し、社会の新しい単位を要求するのである。
ここを希望としなければならない。家族の終焉にうなだれたあとに、分子状の生を開始するのだ。この悲惨な状況の中で主導性を獲得するために、積極的に家族の解体を明らかにしよう。「無防備に放射能くったやつがヨイヨイになっても、私はぜったい面倒なんか見ないぞ」と、親に、舅に、言うべきだ。