2013年5月14日火曜日

「復興」政策の現実的検討




 政府の「復興」予算の多くが被災地と無関係な地域で使われていることが、明らかになっている。これはこれで問題なのだが、より切迫した問題として注目しなければならないのは、被災地での「復興」事業が進んでいないことである。国の付けた予算が充分に使われない(または使えない)ということが起きている。この「復興の遅れ」は、初動の問題ではなく慢性化するだろうと思われる。
 そもそも今次の震災「復興」は大きな困難がつきまとう。まず規模が甚大である。震災被害を除いて津波被害だけを見ても、岩手から千葉まで五つの県にまたがっている。次に、被災地の多くが、一次産業に依存する周辺的地域ということがある。被災地の多くは、もともと経済的に豊かな地域ではなかった。新自由主義政策が地方経済を切り捨ててガタガタにしてきたところに、この津波が襲ったのである。そして「復興」政策を号令する政府は、新自由主義政策を転換することなく、従来と同様の低開発構造を残している。もともと産業がジリ貧であったところに、さらに大きな負債を抱えさせて、経済を「立て直せ」というわけだから、これほど困難なことはない。
 さらにここに放射能公害が加わる。放射性物質による海洋汚染と土壌汚染は、一次産業にとっておおきな逆風になっている。

 一見すると、「復興」政策の大きな障害は、放射能汚染であるように見える。実際に放射線防護を追求する人々は、東北・関東の食品の不買を継続している。このことから、「復興」政策と放射線防護活動との対立的関係ははっきりと浮かび上がっている。
 しかし、もう少し慎重に考えてみるべきは、そもそも国の「復興」政策が、現実的な方策であったかどうかという問題である。放射能汚染問題を抜きにしても、はたして「復興」や復旧が可能なのか。そのためにはどのような措置が必要であるのか。被災地の「復興」または復旧のために、現在の経済政策は充分なものと言えるのか。
 おそらく「復興」は失敗する。そして「復興」政策の失敗の多くは、放射線防護活動のせいにされるだろう。そうした側面があることを否定するつもりはない。しかし、国がおかした政策的失敗をごまかすために、放射線防護がスケープゴートにされるのだとしたら、それにたいしては断固として否と言う。なんでもかんでも俺らのせいにするんじゃねえよと。そもそも無謀な精神論で「復興」を言い出したのは国じゃないか。そっちの失敗の責任まで我々が引き受けるつもりはない。「放射能恐怖症のために復興が進まない」と考える人がいるとしたら、そのうち一割ぐらいは認めるが、九割はお門違いだと言いたい。