2013年11月15日金曜日

大友良英のなにがダサいか



 大友良英、遠藤ミチロウ、和合なんとかというのがやっている「プロジェクトFUKUSHIMA!」について、検討した。ボイスレコーダーを用意して、私と山の手緑とでコメントを収録。これから文字に起こして文章化する。
 “矢部史郎+山の手緑”という名義で文章を出すのは、たぶん10年ぶりになる。まずは肩慣らしに大友良英と遠藤ミチロウをやりだまにあげる。プロジェクト「FUKUSHIMA!」の問題を一言で言えば、「みんな、ひとつになろうよ」的な、幼稚な基調にある。無能が頭数を揃えてひとつになったところで、放射能との闘いは前進しない。福島復興などできようもない。
 この無能たちによる失敗は、「アーティスト」を自称したからといって免罪されるものではない。そもそもアートが人々に教えるのは、「みんながひとつになる」みたいな学校くさい話ではない。アートが教えるのは、「誰もがひとりになることができる」という孤立の技法である。人々がアーティストに敬意を示すのは、彼がただひとりの者として力を表現するからだ。

 いまアーティストが言うべきは、「みんなひとつになろうよ」ではなく、「たったひとりになれ」だ。孤立することは無力になることだというのは、学校が教える迷信だ。現実はその反対に動いている。
 孤立は力の源泉である。
 大友や遠藤は、このことを知らない。