2014年6月2日月曜日

書きかけノート『牧神パーンの発明』②


 電力不足による外観の綻びは、つぎにあらわれるさらに大きな衝撃の予兆に過ぎなかった。千葉県で栽培されたほうれん草から放射性セシウムが検出される。政府は食品流通のクリアランス基準を1キログラムあたり500ベクレルへと大幅に緩和していたが、その基準値をさらに上回る汚染が次々に報告される。葉物野菜、小魚、椎茸、茶葉、肉が汚染され、流通してしまった。食品を通じた人体汚染(内部被曝)が現実味を帯びるようになる。そしてこの年の秋に収穫された新米をめぐって、大規模な不買行為があらわれる。
 汚染食品の不買行為は、二つの段階を経て進行した。
まず1年目に焦点化したのは、食品の検査体制だった。日本政府は汚染調査に消極的で、汚染食品の出荷停止や回収という措置をほとんどとらなかった。そのため市民は自前で放射線測定器を購入し、食品検査を行い、情報を交換していった。市民は自治体に食品検査を要求し、いくつかの自治体では学校給食の食品検査体制がつくられた。こうした活動によって、食品汚染が非常に広範な地域に及んでいることが明らかになっていった。
 事件から1年をすぎた頃から、不買行為はより徹底したものになる。市民は食品をいちいち検査するのではなく、産地と品目だけで不買を決めるようになった。流通業者は食品検査の結果を示して安全性を訴えたが、無駄だった。このころには、検査技術の限界と抜け道が知られるようになり、消費者は、業者がどのような方法で「不検出」という結果をつくり出すのか知っていたのである。
 消費者が汚染地域の食品を買い控えているとき、政府は拡大する不買行為を「風評被害」と呼んで攻撃した。いくつかの市民団体は、母乳検査や尿検査を実施し人体汚染の実態を告発していたのだが、政府はそれもこれもすべて「風評被害」として片付けようとした。政府は、東京電力が汚染地域の生産者すべてに損害賠償することは不可能だと考えたのかもしれないし、政府自身が賠償を請求されることを避けたかったのかもしれない。あるいは、大量の生産者が破産することで発生する金融機関の破綻を恐れたのかもしれない。いずれにしろ、生産者をおそった汚染被害をできるだけ過小に評価したかったのだろう。政府は市民に向けて、福島県産の食品を買おうというキャンペーンを展開した。福島の生産者のために「食べて応援」しようと言った。本当は生産者ではない者たちの責任逃れのためなのだが。
 多くの生活協同組合は、政府の「食べて応援」政策と、消費者の不買圧力とのあいだで、玉虫色の態度をとった。なかでももっとも欺瞞的な対応は、検査をして安全なら食べようというものだった。この主張は、検査方法を学びその抜け道を知ってしまった人々には通用しない。しかし、知識のない会員にとっては、なにが問題なのかもわからない。知識のない会員は、自分が信頼を寄せる生協に裏切られたことすらわからないのである。
 このとき生活協同組合は、消費者運動の論理も歴史も忘れて、たんなる企業としての性格をむきだしにした。何が起きていたのだろうか。腐敗だろうか。そうかもしれない。しかしたんに組織の腐敗というだけなら、もうすこし躊躇があったはずだ。

 このとき不買行為は、根底的(ルビ・ラディカル)な拒絶を含んでいた。それは、「安全なものは買って危険なものは買わない」という、表面的で功利的な論理ではおさまらない。人々は表面的にはそのようにふるまいながら同時に、「安全なものも危険なものもすべて買いたくない」という心性を生みだしていた。もちろんそうは言っても、食品を買わないでは飢えてしまうから、そのときどき便宜的にベターと思われるものを買うわけだが、本当は、なにも買いたくなかった。
 広範な不買行為によって拒絶されたのは、たんに危険な汚染食品なのではなく、商品、商品経済、消費生活そのものである。なぜなら人々は、汚染食品が流通する過程で、どれだけ多くの嘘と秘密と印象操作が投入されているかを目の当たりにしたのだから。私たちはいやというほど見せられたのだ。商品が嘘で塗り固められていることを。その実相を見てしまったら、もう昨日までの「素敵な消費生活」という夢にのぼせることはできないのである。
(つづく)

次回予告
 次回は、ジョルジュ・ソレル『暴力論』とヴァルター・ベンヤミン『暴力批判論』をちゃんと読んで、不買行為のもつ暴力(反暴力)の性格を掘り下げる。「大罷業」(ソレル)または「神的暴力」(ベンヤミン)が発動する時間。暴力(反暴力)の時間。そこから本題の核心となる、裸足で逃げ出すプロレタリアートの正義性について。うーん。頭ぐるぐるしてやばい。