2014年10月8日水曜日

リアリストたちの名古屋



 しばらくブログの更新をとめて様子を見ていたが、ひとつだけ良いことがあった。
 東京の友人が名古屋に訪ねてくるようになった。以前は私が東京に赴くことが多かったが、いまは名古屋で迎えることのほうが多い。しっかりと話さなければならないことは、名古屋で話す。これからはそういうことにしよう。

 名古屋に移住して3年半になるが、この街の特質が少しだけわかってきた。
よく言われることなのだが、「名古屋には文化がない」。
もうちょっと言えば、名古屋は「文化」に抵抗する。名古屋人は「文化」を解消し、無毒化してしまう。
こうした気風は、放射能汚染からの移住者にとって、とてもすごしやすいものだ。

 20113月以降の「復興」政策は、「絆」キャンペーンに始まる文化政策を伴って強行されている。二言目には「絆」だの、「応援」だの、感情に訴えかけるやりかたで人々を動かし、展望のない不合理な政策を正当化している。しかし、名古屋では感情論や精神論は通用しない。名古屋人は実質を見る。政府と広告会社が「食べて応援」を叫んでも、真に受ける者はいない。さすが近代専制国家を完成させた土地柄だ。名古屋人は冷徹なリアリストなのである。
 「復興」政策が現実離れした精神論をふりかざし、社会全体が感情的な衝動に突き動かされている状況のなかで、名古屋には落ち着いた環境がある。この街では、感情にまかせて声をあげることが戒められている。「こうやるべきだ」とか「こうあるべきだ」とか訴えてみても、無理なものは無理だと突き返される。かつてはこの「ノリの悪さ」がとても嫌いだったのだが、今はとても助かる。名古屋には、東京や大阪にはない反文化的な気風があって、「復興」政策から逃散してきた移住者にとって落ち着ける街なのだ


 ブログになにも書かないことで良い効果があったので、この状態を維持しようと思う。
 名古屋で話をしよう。
 歓待する。