2015年8月8日土曜日

構造化された無関心


 そろそろ関東の被曝者に重篤な症状があらわれる時期である。
原発爆発後にうっかり汚染地域に入ってしまった者は、いましっかりと身体検査をしておくべきだ。初期被曝をうけているならば、血液検査は必須だ。
 自分の周りでは病気になっている人はいない、というかもしれない。ならば、一度おおきな病院に行って、待合室を見学してみればいい。現代社会は病いを病院に隔離している社会だから、ぼんやりと街を眺めているだけでは異変に気がつかない。そもそも病気の話というものは、ベラベラと気安く他人に話すものではない。脳機能障害、婦人病、泌尿器や生殖器にかかわる病気は、よほど親密な関係でなければ話さない。だから我々は身近に起きている異変に気づかず、ずいぶん後になってからマスメディアの報道を通じて事実を知らされることになる。そのときには手遅れである。
 誤解がないように急いで付け加えるが、私は「健康状態に関心をもちましょう」とだけ言っているのではない。無関心ではいけませんと言うだけなら、医者だってそれぐらいのことは言う。私が言いたいのは、現代社会は無関心を構造化している社会であって、その構造をしっかり見ておくべきだということである。
 ここでは二つの例をあげておく。


 
1、特異性(差異)の否認
 放射能汚染公害によってわれわれが学んだ重要な概念に、「ホットスポット(特異点)」というものがある。汚染はむらなく均質にあるのではなく、低濃度の地点と高濃度の地点が複雑にからみあうパッチワークを形成している。このパッチワークのなかで、ホットスポットは無視することができない。ホットスポットは「例外的なもの」として切り捨ててよいものではなく、むしろ不意にあらわれるホットスポットをこそ把握しなくてはならない。もしも汚染物質の動態の法則性をつかみ予測することが可能になるなら、それはホットスポットを予測できるものでなければならない。これは、今次の放射能汚染によってわれわれが学んだとても重要な視点である。
 しかし同時にわれわれが知った残念な事実は、日本の一般的な「科学者」というものが、特異点という概念をまえに思考を停止してしまうということである。日本の素朴な「科学者」たちは、特異点の存在を「例外」として排除してしまう。まるで工業製品の検品担当者が不良品をはじいていくようなやりかたで、特異点をはじいて、それ以上考えることをやめてしまうのである。これは驚くべき愚鈍さだが、ある意味しかたがないことではある。日本の「科学者」たちは小さな産業的な成果しか期待されず、最低限の哲学教育も受けていないのだから。彼は上司から渡されたモノサシで測れるものだけを測り、測れない特異なものを見落とすのである。
 これと同様の誤謬が医学の分野でもある。人体への被曝の影響をめぐる論争のなかで人々をうんざりさせた言葉に、「エビデンス」という言葉がある。予防原則に対抗するかたちで「エビデンス」という言葉が使用されるとき、それは科学ではなく、科学の風を装ったイデオロギーの宣言である。
 人々が予防原則を主張するとき、それが意識的にあるいは無意識に念頭においているのは、人体の特異性である。人間の体は一様ではなく、さまざまな差異をもってあることを、われわれは前提にしている。標準的・一般的な人体などというものは存在しない。人間はなんらかの持病をもっていたり、複雑な病歴があったり、体の弱さにもさまざまな体質の違いがある。あたりまえのことだ。そうした複雑多様な差異をもった人体を問題にしているときに、「エビデンス」を要求するということは、「エビデンス」を得ることのできないような特異な症例を切り捨てるという宣言にほかならない。
 例えば長崎出身の被爆三世の女性が東京で内部被曝を被ったとき、その被曝の影響はどうなるのか。そうした特異なケースについては考えなくてよいというのなら、われわれは何も考えなくてよいことになる。そこで議論されている対象が何なのかを見失うことになる。われわれは、身体検査をクリアした成人男性の原発労働者の被曝影響について議論しているのではない。われわれは、震災後に飲料水をもとめて並んでいるときになんの予告もなく放射性物質を浴びせられた老若男女の話をしているのだ。数千万種類のそれぞれに特異な人体を、どのように放射線から防護していくかという議論をしているのである。「一般公衆」とは、特異性を排除して切り縮めた「一般」ではなく、現実に存在する特異なもののひろがりなのである。
 土地の汚染調査についても人体への被曝影響についても、共通しているのは、注視されるべき特異性が、特異であるという理由で自動的に無視される、という構造である。「科学者」たちの古い慣習(イデオロギー)が、差異を否認し、現実を見えなくする。
これは無関心の構造のひとつである。

2、公害隠しの「復興」政策
 今次の放射能汚染は、明白な公害事件である。公害原因企業が東京電力であることははっきりしている。汚染物質は主要な物質が特定されている。被害の全容はまだ不確定だが、少なくとも福島県民の健康被害は確認されている。関東東北地域は、過去に起きたどの公害事件をも凌駕する巨大な公害事件の舞台になったのである。
 政府は当然、公害の隠ぺいをはかる。
政府はまず今次の放射能汚染を公害事件として位置付けることを拒絶した。かわりに、「原子力災害」という謎めいた概念で対応したのである。いったい「原子力災害」とはなにか。これは災害なのか。われわれが受けているこの継続的な恐怖と被害は、災害なのだろうか。われわれは今後、「原子力災害」という概念の疑わしさについて、あらゆる角度から批判しなければならないだろう。
 「原子力災害」というごまかしは、つぎに「復興」政策を要請する。ここでは東日本大震災の被災地への対応と、放射能汚染の被害地域への対応が、意図的に混ぜ合わされている。しかし「復興」キャンペーンによる印象操作を中和するためにあえて言うが、「復興」政策の第一の目的は、震災・津波被災地の復旧ではない。「復興」政策は、東日本大震災ではなく、「原子力災害」に対応して出されてきた政策である。当時の野田政権が何を言ったかを想い出してみればよい。野田首相(当時)は、「福島の再生なくして日本の再生なし」と言ったのだ。政府の主眼にあったのは放射能汚染被害への対応である。政府は、放射能汚染問題にたいして災害復旧の論理で対応し、その公害問題としての性格を後景化させるために「復興」政策を号令したのである。その証拠に、「復興」政策がもっとも力を注いだキャンペーンは、「食べて応援」キャンペーンである。放射能に汚染された食品を食べろというのである。政府が第一の目的としてきたのは公害問題を隠ぺいすることであって、震災・津波被災地の復旧という課題は、公害隠しを正当化するための名目に使われたわけだ。
 こうした国策の下で、人々がなにを忘れることになったのか、ひとつ例をあげておく。
 2011年の暮れ。三陸のある津波被災地の様子がテレビに映し出される。この町では、海沿いに町を再建するか、海から離れた高台に集団移転をして町を再建するか、議論が重ねられている。アナウンサーは、被災者の苦難に寄り添うかのような態度を示しつつ、いつもの決まり文句でこの話題をしめくくる。「一日も早い復旧が待ちのぞまれますね」と。
そうではないのだ。一日も早い復旧を待ちのぞんでいるのは、いったい誰なのか。アナウンサーは他人だからそう考えるのかもしれない。だが、被災者はどうなのか。よく考えてみてほしい。2万人もの人間が津波にのまれ亡くなっているのだ。身内を失った者は数多く、遺体がかえってきていない人もたくさんいる。それほどの大災害を目の当たりにした人間が、「一日も早い復旧を」などと考えるだろうか。私なら恐ろしくてとても復旧どころではない。たとえばある漁師の息子が、将来は親といっしょに船に乗ろうと考えていたとして、しかしあの大津波はそんな将来像を粉々にするだけの破壊力をもっている。彼が、もう二度と海の見える町には住みたくないと考えたとしても不思議ではない。
 「復興」政策は、被災地の復旧を自明視しているし、復旧という結論を先に設定して議論を始めてしまう。「復興」キャンペーンによって全国民の関心が、被災地の復旧に注がれる。しかし被災者たちにとって、復旧という方針は必ずしも自明ではない。何人かは町を去り、何人かは町に残る。そして残った者たちが町を再建しようという結論にいたるのだとしても、そのまえに、それぞれの服喪と、葛藤と、思い惑う時間がある。
 私は感傷的な話をしたいのではない。物事の順序の話をしているのである。「復興」政策は、被災者たちが必要とするものよりも前に、まず政府の必要を満たすために実行されたということである。「一日も早い復旧」を望んでいたのは政府であって、それは、津波被災者と汚染被害者がそれぞれに立ち向かっていた課題とは乖離していたのである。
実際に「復興」政策によって復旧されたのは、津波被災地ではないし放射能汚染地域でもない。それは東京の都市機能災害を復旧させたにすぎない。東京の都市機能が「平常通り」に回復されることで、災害も公害事件も風化させられていく。人々が直面している本当の課題を無視して、公害隠しの「復興」政策がすすめられていったのである。