2016年8月8日月曜日

天皇の政治介入をゆるすな

今日の午後、天皇アキヒトがビデオメッセージなるものを公開したが、ずいぶん踏み込んだ内容だった。
天皇の生前退位という制度変更を、なんと天皇みずからが提案している。驚いた。
象徴天皇制のカカシであるべき者が、制度をどうこうしろと口を出してきたのである。

黙れよアキヒト。


 体力がない、あるいは体調が悪いのなら、国事行為などぜんぶ欠席して代理人を派遣しておけ。そうしてゆっくりとフェードアウトしていけばよいのだ。天皇の国事行為を切れ目なく運営することなど、誰も積極的に望んではいない。それを望んでいるのは皇族だけだ。

 天皇が天皇制の延命のために制度に介入しようというのなら、それは象徴天皇制の前提をひっくりかえすような事態だ。
こんな政策提言はぜったいにとりあってはならない。



追記

 怒りがおさまらないので、もう少し書く。

 天皇の生前退位という議論は、何から起因しているものなのか。また、この制度変更にむけた策動は、何を目指すものなのか。

 まず、天皇自身が表明した危機感を見てみよう。
アキヒトが表明した危機感は、高齢による体力低下によって、従来のように国事行為に出席し続けることができない、ということだ。天皇が国事行為に出席できないことは困ると、アキヒトは言っているのである。これは、先代のヒロヒトには見られなかったアキヒトに特有の危機意識である。
 どういうことか。
 アキヒトは、タレントとなった初めての天皇である。アキヒトは、宮中の奥に鎮座して神のように畏怖される天皇ではない。彼は国民に親しまれるべく、つねに国民の視線に働きかける天皇である。彼は皇太子の時代から映像メディアに露出し続けてきた。軽井沢でテニスを楽しみ、平民の娘と結婚し、二男一女をもうけ、そうした私生活のすべてをメディアに露出させてきた。だから我々は皇族の顔も名前も知っているのである。日本人は天皇家の構成員をよく知っていて、まるで芸能人の話題を口にするように天皇家の話題を口にするようになった。これはアキヒトの前にはなかったことだ。先代のヒロヒトがつねに政治的な焦点になったのに対して、アキヒトは人畜無害なタレントのように振舞うことで、天皇制と皇族の延命をはかってきたのである。
 それ以来、天皇は出ずっぱりである。天皇だけでなく皇太子夫婦も、カメラの前に立たなくてはならない。皇族が国民の視線を避けて宮中にこもることは異常なことだとみなされるようになった。彼ら皇族はいっときも休むことができない。ヒロヒトが病に臥せったような仕方でアキヒトが病に臥せることはできないのである。

 生前退位という制度変更によってアキヒトが目指しているのは、天皇家のタレントとしての活動に間隙をつくらないということだ。自分が元気なうちに皇位を継承し、あとはゆっくりと隠居したいと言っているのである。このスムーズな皇位継承の必要性をアキヒトは、国体を護持するためであるとしている。天皇家のタレント活動に間隙が生じてしまえば、国体は危機にさらされるのだ、という主張だ。
 まったくバカバカしい。
 国体などというものは、存在しない。ただの妄想だ。仮に国体なるものが日本の一部に存在しているのだとしたら、それは解体・清算すべきものである。

 国体などという妄想が、われわれに何をしてくれたというのか。福島県の放射能汚染によって数十万の家族が離散し、棄民化しているときに、国体は何をしていたのか。問題に口をつぐみ、腕をこまねいて、東電の公害隠しに加担したのではないか。私はアナキストだからこういうのではない。一人の民族主義者として、国体など存在しないと言うことができる。
 老天皇が手を振って護持してきた国体は、5年前の3月にぶっこわれたのだ。