2016年12月20日火曜日

2016年をふりかえって


 今週末に発売される『情況』誌(2016年no.3)で、「16年テーゼをめぐって」という小特集が掲載されます。この小特集は、今年の春に発表された『16年テーゼ』を題材に、有名無名の10名にコメントを寄せてもらったものです。
 編集をした私が言うと自画自賛になってしまうのですが、そういう部分を差し引いても、良い特集です。
 10名の著者はそれぞれに文体も作風も違っていて、論点にするところもまったく統一されていません。しかし、ただダラダラと感想文を集めたというのではない、緊張感があります。放射能汚染問題を正面から考えること。その被害を、他人事のように書くのではなく、被害当事者として書くこと。2011年以後に失ったものと生み出されたものを、それぞれの経験から書いていくこと。そういう困難な作業を、集団的な作業として実現できたと思います。
 『16年テーゼ』はそれ自体がユニークな提起ですが、「16年テーゼをめぐって」特集はさらにユニークで、論争的なものになっています。ぜひ買ってみてください。


 『情況』誌の特集作業と並行して、名古屋で小さな政治集会をやりました。
1217「放射脳」左翼全国集会(主催・名古屋共産主義研究会)」という集会です。愛知・京都・大阪・愛媛から参加者を集め、小規模だけれども熱い集会になりました。
 基調提起は2名。渋谷要「『16年テーゼ』の思想」、矢部史郎「「復興」政策の失敗と権力の弱体化」。その後2時間の討論と、さらに2時間の忘年会。
 年明けにはこの集会の報告集をつくります。お楽しみに。


 今年は、名古屋のグループで「16年テーゼ」を提起したり、福岡でアナキストの合宿に参加したりと、集団的な作業に時間を費やしました。
 「集団的」と言っても、大きな集団ではありません。核になるのは3人ぐらいです。私の経験から言って、3人ぐらいがちょうどいい。25年前に高円寺で活動を始めたとき、フリーターの労働組合を準備したとき、法政大学の中核派と論争したとき、在特会と対決したとき、いつもスタートは3人ぐらいでした。状況が変化するとき、新しい課題にむかって「産みの苦しみ」を担うのは、3人ぐらいの集団です。3人がしっかりとした確信をもってあたれば、新しい状況を生みだすことは可能です。
 2017年は、きっとおもしろい年になるでしょう。