2016年12月23日金曜日

最後のクリスマス



 2002年に生まれた娘が、来月には15歳になる。いまは中学3年生ということで、高校受験に向けて勉強をしている。娘はいまのところ、「高校なんか行かねえよ」とは言っていないので、たぶん高校に進学するだろう。春になったら、高校生だ(予定)。

 娘にクリスマスプレゼントを贈るのは、今年が最後になる。
 我が家は敬虔なクリスチャン家庭ではない。だから、クリスマスは家族で過ごすべきだというような習慣や信条はない。娘が高校生になったら、女友達とか男友達とか同年代の人間と一緒にクリスマスを過ごしたいだろうし、また、そうするべきである。高校生になる娘が友達のパーティーの誘いを断って家族でひっそり鶏肉を食べますなんてことは、かえって不健全だ。そういう展開は、避けたい。
 というわけで、親子でケーキをつまむ“なんちゃってクリスマス”は、今年が最後になる。

 かれこれ十数年、毎年欠かさず“なんちゃってクリスマス”をやってきて、それはただ便宜的に、なんとなく流れでやってきたにすぎないものだったわけだが、しかし、これで最後となると、すこしさびしい。


 子供が大人になっていく。
 喜びとさびしさとが混合し、一体となって、感じられる。
 感情、感情の経験、感情的であることが、人間を当惑させるのは、この複雑さと奥行きのためなのだろう。このことについて、誰かが書いていたような気がする。ニーチェだったか。バタイユだったか。まあ、いい。