2017年3月11日土曜日

6年目の春に



 東京電力事件から6年がたつ。
 6年たってもまだ、気持ちの整理がつかない。あの日から何があってどうしたのかを、明解な仕方で書くことができない。
 これは自分自身の問題でもあるし、自分をとりまく環境の問題でもある。



 私はあの日、殺されかけたのだと思っている。

こう書くと、なにかの比喩的な表現か、そうでなければ狂言じみた話のように受けとられてしまう。私が生命の危険を感じたということを語って、それを文字通りに信じる人間は、ほとんどいない。
信じる人間がいないから、私は話すこと自体に消極的になる。
放射能汚染の脅威についてどれだけ言葉を尽くして説明しても、どうせ理解されることはないのだ、と。


 これは、犯罪被害者が一般的に経験する問題なのかもしれない。犯罪被害者は、周囲の人々の無理解と無関心にさらされ、孤立を経験する。
 警察はさまざまな犯罪を取り扱い、日本社会に多くの犯罪があることを知っているが、個別の事件については消極的になりがちである。警察が被害者の訴えを狂言扱いして門前払いすることは、しばしばある。
 たとえば、ストーカーの被害者が生命の危険を訴えて被害届を出したとして、警察は積極的には動かない。警察が被害届をつきかえしたケースもある。殴られたり刺されたりしてから来い、という対応だ。面倒なものには蓋をしたいということだろう。
警察が犯罪にたいして無知で、想像力がない、ということではない。むしろその反対だ。警察は犯罪を具体的に知っているからこそ、ストーカーの規制がどれほど面倒なものかを想像し、蓋をしてしまうわけだ。
 そうして犯罪被害者は、犯罪を最も熟知している警察によって、孤立させられることになる。問題は無知ではない。無理解、無関心は、無知とイコールではない。


 放射能汚染を逃れた移住者たちは、人々の無理解にさらされる。
 この無理解は、無知に起因しているものではない。
 私が放射能汚染によって殺されかけた、と言うとき、その言葉の意味をまったく理解できない人間は、本当はいないはずだ。日本で生まれ育ったならば、誰もが広島・長崎の原爆被害を知っている。40歳以上の大人なら、チェルノブイリの事件をよく知っている。茨城県のJCOの臨界事故も記憶に新しい。足尾鉱毒事件や水俣病といった公害事件は、学校の授業で教えられる。政府と公害企業が公害隠しに全力をつくすことは、教科書に書かれている歴史的事実である。
 東北関東からの移住者たちへの無理解というものは、人々の無知の問題として片づけられてしまいがちだが、実際にはそうではない。人々は放射線被曝の脅威を知らないから問題に消極的になっているのではない。むしろその反対だ。人々はそれがどれほど面倒な問題であるかを知っているから、蓋をして、見なかったことにしてしまうのだ。

 彼らに欠けているのは知識ではなく、勇気である。
 これから移住者が人々に示していかなければならないのは、問題に立ち向かう勇気だ。












おまけ

Hey we gotta move...
Hey we gotta move...

これいいね。
こんな感じ。